黒瀬川の流れる郷原の里に聳える岩の峰 岩山(いわやま・419.5m)

広島県呉市郷原町

2011年12月5日(月)   チャコ&門久

 

 

 

 

 

 

                                  〈岩山山頂部から黒瀬方面を望む〉

 

 

 

紅葉の季節も過ぎて、雪の峰まではまだ暫しと言ったところ。

こんな端境期は里山をノンビリと歩くに限ると、「まだ登っていない山は?」と思いながら、

古いガイドブック(「続・ふるさとの山歩き」中国新聞社・1994年7月7日発行)をパラパラと捲って

最初に見付けたのが郷原の岩山!

カーナビに登山口をセットして久しぶりの好天の下を出掛けて行った。

 

《山行記録》

駐車場所(郷原町岡条)11:22・・・・11:24登山口11:25・・・・11:29林道横断・・・・11:35水場11:36・・・・11:38子宝参道(胎内潜り)・・・・11:39薬師堂11:40・・・・11:47(衣類調整)11:49・・・・11:50展望所11:51・・・・12:02石塁跡・・・・12:04岩山(419.5m)12:06・・・・12:07展望台(昼食)12:58・・・・12:59岩山(419.5m)13:00・・・・13:20薬師堂・・・・13:22地蔵尊・水場13:23・・・・13:30林道横断・・・・13:34駐車場所

〔総所要時間:2時間12分、昼食・休憩等:1時間01分、正味所要時間:1時間11分、歩行距離:2.3q、累積標高差:±310m

 

 

11:24〜11:25 登山口

  呉市郷原の岡条集落の一番奥にある登山口へ最後には細い道を走って何とか到達出来た。駐車場がなかったので、地元住民の方に尋ねて平生はロープを張っている空地に停めさせてもらった。それと同時に岩山の情報を少しばかりお聞きした。駐車場所から登山口は至近距離であった。墓地の横から山中に入って行った。直ぐに山道となったが、程々によく踏まれていて歩き易い道であった。地元の方のお話では、岩山への登山者は偶に来る程度で、単独行の男性が多いとのことであった。ダートの林道を越えると古い花崗岩の岩盤の上を行く道となって、そこを登って行くとヒシャク(柄杓)が置かれた水場に出合った。ガイドブックにはその奥に巨岩がありその下を潜って直ぐ上の薬師堂に出ることが出来たが今はヤブの中で踏み込めないとあったものの、何とその道が復活していたので、その子宝参道なる道を通ってみた。ザックを背負ったままで何とか通れる細い通路であった。

 

 

 

〈登山口近くから岩山の山頂部を仰ぎ見る〉

〈登山口〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈比較的よく踏まれた登山道〉

〈花崗岩の登山道から山頂部を仰ぐ〉

 

 

 

 

〈子宝参道の入口にあった水場〉

〈子宝参道の通る大岩〉

 

 

 

 

 

 

 

 

                                         〈子宝参道(胎内潜り)〉

 

 

 

11:39〜11:40 薬師堂

  子宝参道を抜けると小広場があり、その奥の巨岩の下に小さな祠が祀られていた。それが薬師堂で、暫し参拝した。薬師堂を後にすると登山道は岩山の南面から東面を巻くように登って行った。程遠くないところに、険しい斜面に棚状の展望所があって、そこから黒瀬から郷原にかけての広々とした眺望や野呂山の大きな山体の景観が開けていた。そこを過ぎると段々と急な道となり岩山の東面を巻いてから北へと延びている尾根に乗り、広々とした黒瀬の景観を背にして尾根筋を辿ると、戦国時代に築かれたと思われる石塁跡が見られた。そこから山頂は至近距離であった。登山口にあった説明板によれば、ここには東西条(現東広島市西条町)を支配していた戦国大名大内氏の南部防衛の拠点となる城があったが、当時この地に勢力を伸ばしてきた毛利元就に天文23年(1554年)に総勢2,000人による猛攻撃を加えられて、城主石見源之丞(いわみ・げんのじょう)は討たれ、落城したとのこと。

 

 

 

〈薬師堂〉

〈登る程に汗ばんでくる天気!〉

 

 

 

 

〈展望所から野呂山の大きな山体を望む〉

〈北へ回ると黒瀬方面の眺望が拡がる〉

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                  〈石塁跡〉

 

 

 

12:04〜12:58 岩山(419.5m)・展望台

  山頂にはやや荒れた感じの灌木に囲まれた広場があり、草叢に包まれた三等三角点があった。広場から眺望は得られなかったが、尾根筋をなお南に辿って行くと直ぐに露岩にガードされたような展望台に出た。ここからの眺望は素晴らしいものがあった。眼下には郷原の町が拡がり、見上げれば大きな野呂山の山体がどっしりと構え、左に目を転じれば黒瀬盆地が拡がり、右に転じれば二級峡から更にその先に瀬戸内海、なお西に転じれば灰ヶ峰のスカイラインが望めた。これだけの好眺望の地であり、地元の方の話では、太平洋戦争に時代には、この山頂に高射砲の陣地が設けられ沢山の兵士の姿が日々あったという。山上には防空壕も設けられていたということであったが、南北に長い山頂部の灌木の中を観察するに塹壕状の穴が今なお見られたので、或いは大規模な塹壕が山頂部に掘られていたのかも知れない。戦後この高射砲陣地跡に溜まった大量の水が、当時は沢山松茸の取れた松山に流れ出て山を台無しにしてしまったという。今はその山も荒れており、松茸山のイメージはなかった。

 

 

 

〈岩山々頂〉

〈山頂のすぐ南側の展望台〉

 

 

 

 

 

 

 

 

                                 〈展望台から郷原の町並を俯瞰する〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈展望台の大岩から岡条の集落を覗き見る〉

 

 

 

 

 

 

 

 

                                   〈二級峡の先に瀬戸内海が覗く〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                     〈南西方向に灰ヶ峰が聳える〉

 

 

 

 

 

〈田園風景(下条あたり)〉

〈黒瀬川沿いの集落〉

 

 

 

 

〈黒瀬川を背にした農家〉

〈建設中の東広島・呉自動車道〉

 

 

12:59〜13:00 岩山(419.5m)

  展望台でノンビリと昼食を摂ってから登って来た道を引き返した。山上から見る黒瀬川の流れは川の半生を見るようで楽しかった。黒瀬盆地を蛇行しながら抜けて来て郷原では豊かな水量で田圃を潤し、二級峡に差し掛かると奔流となって広に流れ下り、やがて瀬戸内海へと流れ込む。それらが一望の下に見えた。下山道では柄杓のあった水場にガイドブックでは地蔵尊があると記していたので周りを捜してみると、倒れていた石仏を見付けることが出来たのでお起ししておいた。

 

 

 

〈岩山々頂〉

〈展望所から望む黒瀬盆地〉

 

 

 

 

 

〈水場の上に祀られていた地蔵尊〉

〈水場は地蔵尊の手水場か!〉

 

 

13:34 登山口(駐車場所)

  30分程の時間で山頂から下山した。朝お会いした地元の人の話では、山頂まで元気な人であれば20分程、老人でも30分あれば登れるとの話であったが、専ら歩けばそんなところであろう。登山口あたりから山頂部を見上げれば、山頂部の展望台直下の大岩に「火の用心」と書いてあるのが目に飛び込んでくる。一文字5〜6メートルもあると言うが、毎年地元の消防団の方々が手を入れしているとのこと。嘗ては消し炭で文字を書いており毎年書き直しが必要だったというが、今ではペンキゆえに字は長きに亘って鮮明だと話しておられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈岡条の集落〉

 

 

 

〈登山口〉

 

 

 

 

 

 

 

 

                               〈登山口から岩山々頂付近を見上げる〉

 

 

 

〔山行所感〕

  正味1時間程のランチタイムの里山歩きであった。好天の下、ノンビリとすることが出来たのは、里山ゆえのことであろう。人々の生活の息吹が感じられるのが里山、それに加えて地域の歴史もそこに投影されている。里山歩きは単に山歩きや眺望を楽しむだけでは終わらない深い楽しみを内包しているのも魅力であると言える。

 

 

 

 

 

 

 

〈この日の軌跡〉

 

 

 

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