ヤマベ(オイカワ)のウキ釣り アラカルト

@基本的なスタイル
Aニードルシステム
Bスピードビク
Cウキ
Dエサ
E基本的な釣り方
Fウキ釣りの歴史


@基本的なスタイル
 
ヤマベウキ釣り基本スタイル(モデル:小林竜明氏)

人により、千差万別ですので、一応佐近津里彦個人のものを基本に書きます。

竿:ヤマベ用または渓流用2.4〜4メートル。最近は3メートル前後の竿を使う人が多い。私(佐近)は渓流用3メートル(場所と状況により2.4、2.7、3メートルを使い分け)を愛用。

仕掛け:天上糸フロロカーボン0.5号50センチ、空中糸PE0.2号120センチ、水中糸ナイロン0.25号140センチ、ウキ止めウレタンチューブ内径0.3ミリ。ハリスはナイロン0.2号5〜8センチ。ハリはカツイチのハエスレプロ2号、ハエ1番2号など。

スピードビクは胴ベルトと肩ベルトで固定し、利き手側にコマセバッグを下げる。ウェーダー着用。

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Aニードルシステム

 ニードルシステム:魚を掛けたら、真ん中のガイドにハリスを遊動、ハリスを引っ張ってニードルにハリをかけ、ハリスを下向きに引っ張ると魚が外れてそのまま下のビクへ。そのままハリスを横に引くと、エサの赤ネリが自動的につき、そのまま振り込む。

このように、右手(右利きの場合)は竿の操作に専念、魚はずしとエサ付けは左手(右利きの場合)で行い、魚に触れることなく次の操作に移ります。


小林氏のニードルシステム(右利き用)

 エサポンプ(左側のボタンを押すとエサが1回分出る)

 ニードルとエサポンプのセット(左利き〔佐近〕用)

簡易ニードル(手付けタイプ)


Bスピードビク

 魚を生かしておく長いビク。中程は網、下は袋状になっており、水中に立ち込むと下部が水に入り、魚を元気なまま生かしておくことができます。

 
スピードビク(モデル:小林竜明氏)

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Cウ キ

発泡素材で自作したもの。素材はDIYなどで売っているレンガ状の硬質発泡素材。

芯はソリッド(芯材)径0.4ミリ。トップと中程にウレタンチューブ(内径0.4ミリ)をかぶせ、水性塗料(蛍光オレンジと蛍光イエロー)で着色。表面は発泡クリヤーでコーティングしたもの。数字の4とか5は、オモリ負荷で、8号ガン玉の個数を示します。

 
発泡ウキ(佐近津里彦製)

 津里彦式発泡ウキの作り方 へ

Dエ サ

つけエサ:赤ネリ。マルキューの「ハエ競技用ねり」をミリンで練る。タッパーなどに密封し、冷暗所に保存すれば半年〜1年は持つ。

コマセ:マルキューの「ハエ競技用まきえ」を水で練る。流れのある所では、小石をつめ、卵大〜テニスボール大に丸めて使用。

E基本的な釣り方

 ヤマベのいるポイント探すことが一番。石が大事で、表面が比較的きれいな小石の多い所が一応の目安。

ポイントが見つかったら、3メートルほど(竿3メートルの場合)岸寄りに立ち(ひざ立ちすることも多い)、卵大のコマセを2〜3個正面3メートルに投入。エサをつけてアンダースローで振り込む。ウキが着水する寸前に少し止めて、先に仕掛けを沈めると、すぐにウキが立ち、アタリが早く取れる。アタリがなくても1メートル以内でカラ合わせをし、エサ切りをする。この赤ネリのエサ切りだけでも寄せ餌の効果がある。アタリは千差万別で、ウキに変化が出れば全てアタリと思った方がいい。食いのいいときはウキを消し込んだり、食い上げたり、わかりやすいアタリが出る。盛期は3分もせずにアタリが出るが、厳寒期や魚影が薄い場合は10分ほど辛抱することもある。


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Fウキ釣りの歴史
(HAT創立30周年記念誌「清釣第三部」より抜粋)

ヤマベつりは、柏労釣の中心的な種目の一つで、結成当初から盛んに釣行していました。(…中略…)

 1977年に、初めて関東労釣協のヤマベ釣り大会が開かれました。柏労釣でもヤマベつり学校を開催して、加藤恵司さん(現東京労釣連会長)に指導をお願いし、ミャク釣りに力を入れるようになりました。川虫の種類や採り方、仕掛けの流し方など、いろいろと教えて頂き、少しずつ技術も向上していきました。1982年の関東労釣協大会から各会対抗戦が始まり、柏労釣のヤマベつりは、この大会を目標に釣行を重ねるようになりました。東京に「追いつき追い越せ」をスローガンに一丸となって努力した結果、1984年の大会では団体3位、1987年には団体2位まで躍進しました。(関東労釣協のヤマベつり大会は1989年以降開催されていません)

1985年10月につり人社から別冊つり人「ヤマベ・ハエ」が出版され、ネリエやめん類エサ、多段シズに発泡ウキを使う釣り方が話題になりました。これは1970年代から岡山など関西を中心に研究されてきた釣法で、関東でもこの頃から安達俊雄さんや橋本春雄さんたちによって改良・工夫され、広まってきました。

その頃、柏労釣でも発泡ウキを使ったウキ釣りが紹介されるようになりました。1985年11月の川釣り部会では、初めてヤマベの立ちウキ釣りにチャレンジしました。ネリエは卵の黄身にオカユ粉、食紅を混ぜたもの、めん類エサは、ヤキソバや冷麦、スパゲッティなど、寄せ餌は市販品が出回るようになっていました。この年、谷内さんがG杯争奪全日本ハエ釣り選手権(がまかつ主催)の関東地区予選を2位で勝ち上がり、全国大会に出場しました。利根川・布施弁天先のテトラ前で良型ヤマベのウキ釣りを楽しんだのもこの頃です。

1986年には、相模川で、相模つりの会や多摩労釣会と合同で交流会を開き、ウキ釣りの技術交流を図りました。この交流会は、1990年からは柏労釣主催の行事となり、レインボー会員などとの交流の場に変わっていき、2000年まで続きました。関東労釣協のヤマベつり大会が中断してからは、この交流会が柏労釣のヤマベ釣行の柱となっていました。

1989年は、ウキ釣りの釣行とミャク釣りの釣行を分けて実施しています。その後、次第にウキ釣りが中心となりましたが、1992年頃までは、まだミャク釣りとウキ釣りの両方が共存していました。1988年には、鈴木(忠)、佐近両氏がレインボージェットヤマベチームに入会、2年後には小林さんも入会、最先端のヤマベウキ釣り技術を柏労釣にもたらしました。

1989年から1990年頃、魚ハズシとエサ付け装置(いわゆるニードル)とビクが一体型になったスピードビクの原形ができあがり、エサポンプも2〜3年後にはボタン式に変わって、つり人が開発した装置としては究極の道具が完成しました。ネリエも、同じ頃、マルキューのハエネリ(粉末)をミリンで練る方法が開発されました。変質しにくく使いやすいエサとして、現在はほとんどこのエサが主流になっています。

こうして、数つりの技術が格段に進歩し、柏労釣の尾数記録も飛躍的に伸びていきます。1990年336尾(小林竜明さん)、1991年482尾(鈴木忠美さん)、1993年597尾(谷内透さん)、1995年768尾(坂井一彦さん)、2002年800尾(茂木信二さん)、2005年899尾(浅見朗さん)まで到達しています。

 
振り込んだ直後のウキの状態(見えるかな?)


関東ハエ釣クラブ選手権大会に参加したのは、1995年の第6回大会からです。1999年の第10回大会からは、佐近・小林両氏が大会実行委員会事務局をつとめ、準備・運営で中心的な役割を果たすようになりました。

また、G杯ハエ釣り関東大会(がまかつ主催)には、1996年の第6回大会から複数の会員が参加し始め、これらの大会に向けての取り組みがヤマベ部の中心的課題となっていきました。

組織的には、1982年にフナ・タナゴ・ヤマベなどを対象にした川釣り部として部会や本会の例会を行うようになりました。

その後、1986年には川釣り部からヤマベ研究部として独立、1993年ヤマベ部と改称、2002年には、会内サークルの一つとして、やまべ釣愛好会が発足しました。

1993年からゲストとして何度も参加していた浅見隆さん・浅見朗さんご兄弟が2000年に入会、ヤマベ部門のリーダーとして活動されるようになりました。その後も茂木信二さん、伊藤義泰さん、浜中保宏さんという名手達が次々に入会され、柏労釣生え抜きの小林竜明さんも1999年から5年連続で全日本ハエトーナメントに出場し、関東でもレベルの高い会として注目されるようになってきています。

交流行事は、秋の関東ハエ釣クラブ選手権大会、全関東やまべ釣大会の他に、4月(5月)のヤマベ釣りトーナメント大会、年忘れやまべ釣大会にも参加し、多くのヤマベつり仲間と競い合いながら楽しく交流しています。

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