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友人からのリクエストにより、一筆書かせてもらうことにする。 たびたび取り上げている福山市政についてだ。今回は鞆の浦の架橋・埋立工事について、羽田皓・福山市長は2005年11月29日にイコモス(世界遺産選定の世界的NGO組織――先般の石見銀山の世界遺産選定でも深く関わっていた)との会談にて、「議論は尽くされた」と言い放ち、工事着工に向ける意志を明確に表わした。次いで藤田雄山・広島県知事(政治資金不正疑惑の主人公でもある)は、2007年5月25日、「事業はできるだけ早く実施されることが望ましいと思う」と述べる一方、「実施した場合には破壊者としての名前はつきまとうと考えている」と語った。 私達は何という市長、知事、市議、県議を選んでしまったのか、まこと、悔やむところが大きい。 余談ではあるが、鞆の浦は日本版フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 にも掲載されている。 そんな鞆の浦について、多くの市民・県民の声のみならず世界の声までもをあらかた無視するような行動、一角の関係者のみを長じる姿勢には、彼らの人間性もさることながら、彼らに票を入れた人たちに対しても眉を顰めざるを得ない。これらのこと事により、またも福山市民は馬鹿だと周りの人たちから罵られるのは目に見えている。「またも」というのは、芦田川大橋恐喝未遂事件での、市・企業・暴力団との関係が良い例だろう。「暴力団は必要悪だ」と言い切る、公共事業に携わる企業人もいる、そんな福山市民に対して、周囲の自治体からの視線は厳しいものになるだろう。 そんな周囲の視線を無視できるのだから、これから福山市に暮らす人たち――その多くは子供達――に対して、より良い何かを残すことができるだろうか。荒れ果ててしまった世界的な遺産や、鉄筋コンクリートで固められた町や、汚泥で埋まる芦田川や……。「福山の大人たちは馬鹿だ」と、子供達に言われないように、彼らを教育しているのではないか? とさえ思う。 福山市のお役人の名刺には、「めざそう 百万本のばらのまち」というフレーズがあるけれど、そうではなく、「生きよう 百万人の馬鹿のまち」ではないのかと言いたくなる。そして、こんな町には住みたくないと感ずるのは私だけではない筈だ。 今日、今年初めてのホトトギスの声を聴いた。彼らの聞きなしは、「てっぺん書けたか?」「特許許可局」などと聞こえるけれど、この際だ、「フクヤマ負けたか?」とでも啼いてほしい。福山市議会のてっぺんで。 (2007年5月26日) |

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