| 著者に対して |
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高校2年(1985年)の時、『週刊プレイボーイ』に連載された『風に訊け』を読み、その、ライフスタイル・アドバイスを拳々服膺し(けっこう軽薄な読者であった)、高校生活を送る。これが初めての出会いであった。 元来釣り好きであったため、この間、『オーパ』『フィッシュオン』などの釣り紀行を読み込んでもいた。併せて受験勉強の合間に『夏の闇』『輝ける闇』『渚から来るもの』『開口一番』『開口閉口』『白いページ』なども読了する。授業では取り上げられなかったが、高校の現代国語の教科書に『パニック』が載せられており、授業中に読み込んだ覚えがある。 中学・高校と家庭内不和で問題を抱えていた。『風に訊け』のアドバイスが、多少なりともこの世と人に対して折り合いをつけられるよすがとなった。心の恩人、といったところだろうか。 当時の広島県ではいわゆる“戦争教育”“原爆教育”が盛んであった。私もかなりな部分で教化された、と言ってよい。日常では祖母と母から戦争(といっても銃後であるが)体験を嫌と言う程聞かされていた。そのバックボーンもあるのだろう、彼の作風で、戦争についての著述が際立っていた点でも引き付けられた。 作家と読み手が出会う偶然とは、人と人とが出会うのと同じくらいに奇異なところがある。そう感じられてならない。 私が大学4年の時に亡くなる。友人が、下宿近くのアルバイト先まで知らせに来たのを今でも覚えている。『闇』三部作の完成と同じく、釣り紀行『オーパ、オーパ!!』シリーズが読めなくなる事を残念に思った。 以前ここで、「小説よりもエッセイ、ルポルタージュに力を入れ過ぎたのではないかと思われてならないのだが、どうだろう。もう少し力を小説に注ぎ込んでいたら……残念」と書いたが、たいへんな間違いであった。 先日、久しぶりに『ALL WAYS』を読み返して、編集後記で谷沢永一がいみじくも、『開高健は、当初から小説家であると同時に、当初からエッセイストでもあったのだ。彼にとっては常に二種類の様式が必要だったのだ』と語っているのに気がついた。戦前に生まれ、戦中/戦後の混乱期に心に刻みつけた『闇』をまさぐるが如く、常に混沌とその先に生まれる生の根源を追い求めた彼の気質を表わすのに十分な言葉だと思う。 こちら(横浜)に出てくる時に著書の大半を実家に置いてきてしまった。紹介するのにひどく難渋しているのだが致し方ない。この点、開高フリークと呼ばれる方々とはちょっと違うファンであるなとも思う。耽溺、埋没せずに一歩離れて歩きたいとも思っているからだ。彼の作品が持っている人を引きつける磁力は並々ならぬものがある。その恐ろしさからなのだが…… |
| 著作 | 読後感 |
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『輝ける闇』 新潮社 新潮文庫 1969年 刊 |
ベトナム戦争を題材にした作品。小説ともドキュメントとも見て取れる作品である。 1968年生まれの私にとって戦争は、遠い過去のものか、もしくは遠い国の事という認識しかなかったが、この作品で、著者の旺盛な行動力と筆致、膨大・ち密な語彙の豊富さに圧倒される。しかし、現代日本の若者にとって「戦争」は、観念的な物でしかなく、どんなにニュースが流れようが戦争体験者の話を聞こうが、肉感(恐ろしい事だが)しないことには理解できないのだ、とも、分からせられる。 哲学者のハイデッガーが「現代」を定義して曰く、「現代は輝ける闇である」。この言葉から紡ぎ出される「闇」…… 語弊はあるが、感動よりも無力さに支配される作品だ。 |
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『オーパ』 集英社 1978年 刊 |
ブラジル釣り紀行。 「現代の日本には驚きがない。驚きたいためだけにアマゾンに行くのだ。」という意力をもって企画したアマゾン釣り紀行。ピラーニャ(ピラニア)、トクナレ(ピーコック・バス)、ドラド、ピラルクー……名魚、珍魚、怪魚、様々な魚と事物が現われては消え、消えては現われ、驚きは尽きない。 読んだだけでも自分の中の地図が拡がる(拡がった気になる)逸品である。 以後、『オーパ、オーパ!!』シリーズに続くことになるが、このシリーズでは、『王様と私』『扁舟にて』の二編が秀逸だ。 「明日は雨になってもいい。晴れてもいい。」(『王様と私』)、「釣り師の心もブーメランである。朝早く出ていき、夜遅く黙って帰る。再びいつか、飛ぶために」(『扁舟にて』)。一滴を掴み取れた釣り師とそうでない者の、尋常ならざる心の動きを語る。盲目の釣り師たる私は、夜毎炙られてならない。 |
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『もっと遠く! -北米編』 『もっと広く! -南米編』 朝日新聞社 1981年 刊 |
南北両アメリカ大陸横断記。 釣り竿を媒介にして両大陸の森羅万象を語る……とあるように、釣魚のみならず旅のまにまに現われては消えてゆく人、物、事……広大無辺の大陸を「かすめ歩く」程度と自ら語るが、鋭い観察眼、探究心により、これらの事物のみならず、著者の汗、息遣いが手に取れるようである。 とても良い。 これだけの事をやってのけておきながら、『清潔な明るい場所』の老人をして語らしむる「すべては無にして無、かつ無にしてまた無にすぎぬのだ……」この一節に帰してしまう。生の愉楽と同時に忍びよる「闇」。なにか、としか言いようのないものはここにも…… 愚かなることこのうえない私としては、どうしても食べ物の話に魅入られてしまう。『舌の上のNY』『ゴッド・ファーザー』『砂漠の鼠』『さらば、草原よ』。カキ、ハマグリ、セビチェ、アンティクーチョ、アサード……各回で語られる美味珍味は「いつか機会があったらやったるゾ」と思わせるものばかりである。嗚呼…… 蛇足: この旅行記に参加した編集部の森啓次郎氏はその後、『週刊朝日』の編集長となったが、今は何処に? しかし、一冊3,500円。二冊併せて7,000円の価格。貧乏学生にとってはちと高かった。 |
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『ALL MY TOMORROWS』 1〜4 角川文庫 1990年 刊 |
断片集ともエッセイ集とも。 1955年〜1981年までの、対談、談話、コラム、端書き、日記など、評論家の谷沢永一氏に送り続けたものを編纂/編集したもの。冨山房より刊行された『言葉の落ち葉』1〜4の改題文庫版。 第2刊には、開高健がサントリーの宣伝部に在籍していた時に創ったPR誌、『洋酒天国』の、彼が創作したとされる文章を抜粋したものが収録されている。 谷沢永一の蒐集鬼ぶりを見せられると同時に、開高健の横溢する知識、精神、時にはヒリヒリした新鮮さを、時には汚濁を舐めるような陰湿さを見せつけられる。 『開口一番』『開口閉口』『白いページ』など、開高エッセイは数多くあるが、開高健がエッセイでよく見せるけじめなさ、扱うテーマの放埒さを読むのであれば、これをお勧めする。 他も面白いが…… |
| つんどくよんどく |
| これまた先日、向井敏の『開高健 青春の闇』を読む機会があった。昭和25〜28年の、未だ暗鬱とした時代の熱く激しい創成期の懐述。そのうち書く所存。 |
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