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―近事想見―
派遣雇用労働者の切り捨てが取りざたされて数カ月。 斯く言う私も、半年ほど派遣雇用に就いたことがある。もちろん、労働する立場でだ。その時期……2001年10月からの半年間だが、その間に就いた業務を列挙すると、倉庫作業、木製パレット製造などの軽作業、マンションのモデルルームへの案内役としてのプラカード持ち(私は「町中の案山子」と呼んで自嘲していた)、ティッシュ配り、様々な製品の箱詰め作業。これらは三日間くらいの期間で雇われていた。対して、大学病院のカルテ書庫の移動作業、ケーブルメーカーの開発部の新製品開発テスト作業では、それぞれ一ヶ月と二ヶ月半という期間だった。 ケーブルメーカーではリーダー以下三名のチームに配属され、屋内外での製品のテスト作業は元より、ビジネスソフトも使えるのでテスト結果のまとめやら展示会の案内作成なども引き受けた。良く言えば準社員のような業務内容だった。 そして新製品の正式リリースが長引き、一ヶ月半のところがもう一ヶ月伸びてしまい、そのお礼? からか、最終日の業務を終えた後、開発チームの方々に送迎会を開いて頂いた。 その席上、 「木原さんならウチの会社に入れるよ。協力するから応募してみれば?」 と言うお言葉を頂戴したけれど、この会社は外資系だったために、 「モノを作る会社に再就職したいので有り難いのですが、以前勤めていた会社が外資系でして、面白さよりも面倒臭さが先に立つと思っていますので止めておきます」と答えた。 その後、幸いにも前々職の会社から復帰の声がかかったために、私の派遣雇用の期間は半年程で終えんを迎えた。前職も前々職も、大型プリンタ・プロッタメーカーという同業。成果主義を果たせずに辞した前職場とは異なり、私自身が挑戦主義で辞した職場であった。辞めた当初は「裏切り者」と罵られたりしたが、そのような会社から声がかかったので、これまた再び挑戦主義が頭をもたげた。 しかし、声がかからずに「職業選択の自由」という刃を振りかざしていたならば、この生活はもっと長引いたであろうし、自身に向いた、自身の望む職業に就けるかどうかも分からないだろう。 経験からの前置きが長くなってしまった。 こういった状況……日々喝がつの生活に陥ると、正規雇用のためにハローワークへと通う気が薄れ、就職情報誌を調べる気力が無くなり、正規雇用への手段をどう踏んでゆけば良いのかが考えられなくなる。少なくとも私はそうだった。 さて。 雇用創出計画のニュースを調べてみると、雇用数に対して応募してくる割合は10%程度だという。これは先程語った「職業選択の自由」というヤツの表れなのだろうか。それとも何か他の、やむなき事情があって、このような数字になっているのだろうか。こればかりは皆に尋ねてみなければ分からない。 その後の私の状況は、以前この「近事想見」でも書いたように、うつ病に罹り、会社を辞して実家に戻り、療養を続けながら依頼されるデザインの作成をしている。この状況では暮らしの足しにもならないので、精神障害年金も受けている。これは職業と言うよりは、障害者の通う作業所に似たものとなっている。 けれどもこれも、「モノを創る」作業となっている。 (2009年1月21日) |