| 甘い記憶 … 3 … |
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保険証を取りに家に戻ると、珍しく母、恵が起きていた。 普段ならまだ寝ているはずである。 「あら、おかえりなさい。早いのね。」 「ただいま。朝礼で倒れちゃって保健室の先生から病院に行くよう帰されたの。病院に行くんだけど、保険証ってどこだっけ?」 遼の言葉にさすがの恵も顔を強張らせた。 「まぁ…保険証は出しておくから、着替えていらっしゃい。一緒に病院に行きましょう」 「うん。ちょっと待ってて」 遼は自分の部屋に急いで戻ると、白いブラウスと桜色のスカートに着替えた。 ダイニングに戻ると、恵は電話が終わったところだった。 「電話?」 「えぇ。近くの内科に電話したんだけど、どうやら先生が外来に出たみたいね。大学病院まで行きましょう」 「ん…」 顔が強張ったままの恵に、遼も不安になってきたのか、黙って車に乗りこんだ。 初めての病院、しかも大きな大学病院に、遼は思わずきょろきょろと見回した。広い待合室はどこかのターミナルのように人がごった返していた。 小児科、外科、眼科… 内科がどっちを向いているのかさっぱり分からない遼は黙って恵の後を付いていった。 「受付をしてくるからそこで待ってなさい」 「はい…」 恵は遼を待合の席に座らせると受付をすませに向かう。 「遼、こっちよ」 恵に連れられ、今度は診察室の前でまた座らされる。 「西田さん。お入りください」 「ほら、遼」 「は、はい。失礼します」 てっきりいろいろな検査をするのだと思っていた遼は、小さなベッドと女医しかいない診察室にホッと安心した。 だが、女医の方はあまり良い顔をしていない。 診察椅子に座った遼を少し困った目で見た。 「西田さん、ちゃんと定期健診には来てくださいね」 「え?定期…?」 「手帳によると、もう2ヶ月も受けていませんよ。しかも一番大切なときに」 「一番、大切なときに?」 一体、何の話だろう? 遼があまりにきょとんと座っていたので、女医も患者を間違えたのかと戸惑いだした。 「西田、遼さん、ですよね?」 「あ、はい。私が西田遼です。」 どうやら診察室は間違っていないようだ。 だったら、定期健診とか、手帳とか、一体何のことだろう。 聞きたいことはたくさんあったが、今は女医の厳しい顔に遼もゴクリと押し黙る。 女医は一度、ふうと息を吐くと再び口を開いた。 「妊娠初期が一番大切だって、説明受けませんでしたか?」 「…え?」 一瞬、頭が、真っ白になった。 妊…娠…? 誰が…? 私が? 「貴方はまだ若いからよかったけれど、もし運が悪ければ、母子ともに危険な状態にだってなり得たんですよ?」 女医の言葉が耳のそばを通り過ぎる。 わけのわからない展開に この場から逃げたい衝動にかられた。 遼は椅子に座っていることも忘れ、女医から少しでも離れようともがいた。 だが、後ろに立っている恵の手が遼の肩をしっかりと抱いている。 真っ青になった遼の反応を別の意味ととった女医はますます顔を厳しくさせた。 「もし、中絶をするかで迷っているなら、早期の決断が必要で…」 「まっ、待ってください!先生!」 遼はこれ以上聞きたくないというように、女医の言葉を遮った。 中絶とか決断とか、それ以前に遼にとって大事なことが。 「わ…私は…ほ、本当に、妊娠…しているんですか…?」 「えぇ…4ヶ月目に入ったところだけど……」 遼の怯えた声に女医もこの時になって遼の様子がおかしいことに気づいた。 女医は遼を後ろから支えるように立ってる恵に目で問いかける。 「遼、廊下で待っていなさい」 恵の言葉に導かれるように、遼はふらふらと立ち上がって診察室をでた。 一刻も早くこの部屋から出たかった。 この部屋をでれば、この悪夢が終わってくれるような気がした。 診察室からでるとそばの椅子にくずれるように座った。 うつろな瞳は自分の靴先を映していた。 看護師達の喧騒や患者の声も遼の耳には届かない。 女医の言葉だけが頭の中で何度も何度も反芻される。 妊娠? 私が? そんな… 絶対何かの間違いよ。 どうして―― 答えの出ない疑問だが次々と生まれる。 遼は今まで異性にも性にもまったくと言っていいほど興味がなかった。 だから共学に通っても、咲のように男の子と付き合ったり体だけの関係を持ったりすることは無かったし、誰かと寝たこともない――処女のはずだ。 その自分が、妊娠している。 遼は血の気がなくなった自分の顔を手で覆った。 全てことを拒否するように閉じた目は、病院の眩しい光を遮断する。 目の前に広がる暗闇がこれから遼を表しているようだった。 |
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