| 第九話 目覚め |
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「え・・・・・・?」 慎司は声を詰まらせた。あたしはそれをぼんやりとした視界の中で見ていた。 そう、カズ叔父さんはお母さんの恋人だ。運命だから仕方ないと母は言った。あたしがいるのに、カズ叔父さんがいたらあたしに二百円を握らせて、家から追い出した。どんなに寒い日でもあたしは家に帰ることを許されなくて、泣いてもお母さんは許してくれなかった。それを運命だというの? そんな運命壊れてしまえばいいのに! あたしは寂しかった。寂しかった。だって、あたしは誰かのたった一人になれるなんて信じられない。運命なんて信じられない。だからこそ憧れて、夢を見たんだよ。 神様が選んでくれた運命の波が本当にあたしを救ってくれるなら、あたしはいつまでもその日を待ちたいって。そう思ったんだよ。 「・・・つまり、それは」 混乱しているだろうに、無理して慎司は笑う。 「あたしとお兄ちゃんが付き合うのとおなじようなことだよね」 想像するだけで心臓が壊れてしまう。慎司の表情が固まった。・・・当たり前、だよね。慎司にとってあたしはまだまだ子供で、でもあたしは結局お母さんと同じだった。あんなに嫌いだって思ったのに、あんなに汚いって思ったのに、結局はお母さんと同じ道を辿っているよ。お母さんは想いが通じて幸せだったかもしれないけれど、パパとあたしは捨てられちゃって、あたしは想いすら口に出せなくて、どうすればいいの。 どうすればいいのか、分からないよ。 「杏、おまえ、いつ知ったの、ソレ」 「・・・子供のとき。二人が離婚する三年前くらい・・・」 あの頃の三年はとても長かった。お母さんとカズ叔父さんの関係がイケナイものだってあたしは知らなくて、お母さんがあたしをいらないって叫んでも、あたしにはお母さんしかいなかった。パパは今よりも仕事が忙しくて今ほど喋ることもなかったし、お母さんに捨てられたときは世界の全てが終わった気がした。 恋の力は偉大で、とても恐ろしい。 それはお母さんを見ても、そして自分の経験でも分かる。だって今だってもう、あたしは慎司のことしか見えなくて。 見えなくて。 「杏・・・・・・?」 あたしは。 いつの間にかあたしは重たい身体を引力に逆らって起き上げていて、すぐ隣にいる大きな慎司に抱きついた。 幼い頃のことが鮮明に脳裏に浮かんで、涙が止まらない。 「・・・杏? 大丈夫か?」 こんなときでも慎司はちゃんと理性を保っていて、あたしの頭を撫でる。 やめてよ、子供扱いしないで。あたしは女なんだよ。慎司に残るかすかな香水の匂い。今日のこの香りはあたしがあげたものではない。そういえば、このワイシャツは初めて見るものだ。いろんな感情があたしの心を支配して、頭の中がごちゃごちゃになって、あたしは一瞬全てを空っぽにしてしまった。 心の中も、頭の中も、この部屋の気配も、あたしの過去も、全部。 そして、残る感触は唇にあたたかくて柔らかいもの。 「・・・・・・・・・・・・」 ただ押し付けるだけで、三秒くらいしたら、あたしは慎司の唇からあたしのそれを離した。 キスしたんだと、離してから気付く。 「・・・・・・杏」 ただ呆然と無表情で、慎司はあたしを見た。 「何考えているんだ」 「・・・・・・・・・」 慎司の声は、この場に相応しくないほど厳しくて、口調が怖くて、あたしは目線をそらした。 ただ慎司を好きで仕方がないだけ。どうして分かってくれないの。熱でおかしくなったあたしの頭は暴走が止まらない。それを制止するかのように、慎司はあたしをベッドに寝かせた。力のないあたしはあっという間にベッドに倒れる。 「おまえ、やっていることと言っていることが無茶苦茶だよ。・・・熱、あるからだろ? 早く寝ろよ」 そう言って、ドアをあけた。向こうに見える薄暗い廊下。 行かないで。言いたかったけれど言えなかった。身体はまだ火照ったように熱いし、息をするのも苦しい。行かないで、そうやってまたあたしを捨てるの? 「たくさん喋らせてしまって、悪かったな、杏・・・・」 そして、ドアが閉まった。 あのときとおんなじ。 『じゃあね、いい子でね、杏』 今までに見たことのないスーツを着て、お母さんはあたしに手を振った。・・・行かないで。 やっぱりあのときも、言えなかった。 それから慎司はあたしに姿を見せることはなかった。あたしはその三日後にやっと起き上がれるようになったけれど、相変わらず慎司は忙しいらしくて、朝はあたしより早くて夜はあたしが寝たあとに帰る。 だけど、もしかしたらあたしを避けているのかなとも思った。だって。 この唇に残る感触。 いくら熱があるからって、許される行為じゃない。慎司の気持ちも考えずに押し付けた。なんて馬鹿なんだろう。だけど、罪悪感はあるけれど、後悔しているわけではない。もうこれしかなかった。他にどうすればいいのか分からなかった。 あたしは慎司を好きで、ただそれだけだったから。 「杏、おはよう。元気になった?」 学校に行くと、真っ先に麻里子に声をかけられた。 「うん、ありがとう。もう熱も下がったし、ばっちり」 「萩本!」 教室に入れば、今度は野田くん。 「大丈夫か? すっげー心配したぜ、俺」 「あ、ありがとうね、野田くん」 ふらふらだったあたしを正門まで連れて行ってくれた。なんだか最近お世話になりっぱなしだなぁと考える。 席について、麻里子と他愛のない話をして、一時間目の数学のノートを借りて写しているときだった。 「きょーう」 麻里子がからかうような瞳であたしの顔を覗き込んだ。 「愛されているねぇ、杏」 「・・・は?」 「やっだ、わからないの? 野田くん絶対杏に気があるよー?」 「うっそ。そんなわけないよ」 ただ彼は一緒に日直をするようになってから仲良くなって、最近は偶然喋る機会が多いだけで。麻里子のからかいを鼻で笑って、あたしは再びノートに落としてワケの分からない数式を並べた。 「杏はお子様だなぁ。そんなに鈍かったら、運命の人が現れても気付けないよ?」 「・・・いいよ、もう」 低い声でつぶやいた。 もうどうでもいいって思った。あんなに欲しかった運命というモノは、とても脆くて、とても儚くて、きっとすぐにつぶれてしまうものだった。そんなこと、あたしが一番知っていた。 運命に頼っているばかりじゃ何も変わらない。きっとお母さんだって分かっていることだ。運命を変えるコトだって出来るんだよ。ただ待ち望んでいるだけでは何も得られない。 あたしは自分の手のひらを見つめた。 「もういい・・・って、どうして?」 急にテンションが低くなったあたしを見て、不思議そうに麻里子は問う。 「だって杏、恋愛をしたいって言ったじゃない。私がどんなに馬鹿にしても、今を輝かせたいって、言ったじゃない」 「ん・・・、言ったけど・・・、そう思うけれど、でも恋愛したって輝けるわけじゃないもん」 あたしは静かに麻里子の顔を見た。驚いたことに、麻里子の瞳は揺らいでいた。 「・・・私はね、杏、恋愛に夢見る杏に憧れていたんだよ。そんなに簡単に、やめられるの・・・?」 「だって・・・、運命の人なんて・・・」 言いながらあたしは考える。 自分で作っていく未来。運命。それらは決して一つだと言える? いくつにも交叉されていく世界の中で、唯一のものなんて選べることなんて出来ない。時には間違いだってあるかもしれないし、大切なものが一つだなんて言い切れない。 ・・・お母さん。 心の中でつぶやいた。 「・・・麻里子、あたし夢を見ていたの。麻里子の言うとおりだよ。少女漫画のような恋愛なんてありえないかもしれない。あたしは運命の人を待つのをやめる。ただ、今の気持ちを運命に変えたいよ」 あたしが言うと、麻里子は悲しそうに笑った。 なんてシビアな現実。でも、目が覚めた。 家に帰って、ママが料理をしている隙にこっそり二階に上がって、寝室に入った。 奥にあるパパの机。あたしは引き出しを開けた。そこに入っている分厚いアドレス帳。お母さんの名前を探してみたらあっけなく見つかった。 その辺にあった紙にメモって、引き出しを閉める。 そして、部屋を出た。夕方はちょうど西陽が差し込み、この廊下も明るい。慎司の部屋のドアが少しだけ開いていた。まさか帰っているわけないよね。痛む胸に気付かない振りをしながら、そっとドアを開けると。 中にはいくつもの段ボールが並んでいた。壁にある本棚も慎司の使っていた机も、すべて空っぽになっていて、唯一、布団を被ったベッドだけがまだ慎司がこの部屋で暮らしていることを確かめることが出来た。 「・・・・・・・・・・・」 あたしは息を飲み込んだ。 これはまるで・・・。 「ママ!」 慌ててキッチンへ行き、ママに問い詰める。 「今、お兄ちゃんの部屋を見てしまったの・・・。ねえ、あれどういうこと?」 「ああ、杏ちゃん。ごめんね。杏ちゃんが元気になったら言おうと思っていたのよ。慎司ね、仕事が忙しいから会社に通勤しやすいマンションに引っ越すのよ」 ママは野菜を切りながらただ微笑んだ。 世界が真っ暗になった。 またあたしは捨てられたんだ。 |
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