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私の徒歩巡礼記録を記事と写真で構成しました。この巡礼ルートは基本的に山と渓谷社発行の「熊野古道を歩く」(宇江敏勝監修)を参考に歩いています。熊野古道に関しては西国33観音霊場の2巡目を完全徒歩巡礼で結願しようと発心し、JR那智駅から中辺路ルートで廻ったので、今回はJR那智駅から伊勢神宮に向かう伊勢路を歩くことにした。伊勢神宮へは、続く、坂東・秩父の完全徒歩巡礼、四国88ヶ所の9割徒歩巡礼結願出来たので、日本で最高の神にお礼参りの意味もある。
第1日(6:50〜16:49)(和歌山県那智勝浦町〜和歌山県新宮市)
JR那智駅(6:50)〜補陀洛山寺〜浜の宮王子(7:30)〜大狗子(おおくじ)峠(9:20)〜小狗子(こくじ)峠(9:41)〜佐野王子跡(9:41)〜三輪崎小学校〜金光稲荷神社(9:53)〜御手洗板碑(9:55)〜王子ヶ浜(砂浜)(11:14))〜王子神社〜第一王子橋(11:40)〜阿須賀神社〜JR新宮駅(16:47)
(宿泊地:JR神志山駅付近 ビジネス旅館潮音 0467-22-2230)
さて、この日は例によって、JR那智駅からの出発なので、振分石がある補陀洛山寺と、元の同居人(神がおわす)浜の宮王子を参拝してから歩くことにした。本当は午後には三重県に入っていたはずだったが、いろいろあって、和歌山県止まりとなった。以下はこの日の記録である。
補陀洛山寺は西国33観音霊場の完全徒歩巡礼で納経印を頂いたので、結願した今回はお礼参りで日付だけにして頂こうと思ったが、西国の納経帖を見ると何故か(?)前回の納経印が無かったので、別に用意していた納経帖の白地のページに新たに納経印をいただいた。熊野の那智といえば、有名な補陀洛渡海ゆえ歴代の渡海上人たちの墓を一度は参拝すべきである。今度で三度目ゆえ、てっきり、裏山にある墓には以前、一度は参拝した気になっていたが、記憶を振り返ってみれば参拝していなかったことに気付き、急遽、参拝することにした。歩きながら記憶の糸を辿ってみたが、やはり参拝していないらしく、過去の記憶が甦ることは無かった…


渡海上人たちの墓を参拝し終わって、隣の浜の宮王子に参拝しようとしていたら、黄金週間のせいか、団体の参拝客がいたので、住職が陀羅尼を唱えた後にご本尊のご開帳がなされ、私も遠くから拝顔できたのは思わぬ幸運だった!おまけに、団体さんといっしょに、ご本尊の説明も拝聴できたのだが、手が44本で、十一面の他に、憤怒のお顔がさらに二つ付いた、珍しい観音様とは知らなかったので、ありがたかった!
補陀洛山寺で一時間くらい道草した後、浜の宮王子から熊野古道中辺路を新宮目指して歩き始めたが、国道と合流するとしばらくは海沿いの道を歩くことになった。途中にはゴルフ場の入口があり、大狗子のトンネル手前から熊野古道になっていて、そこに行く途中の海沿いの道に一里塚跡があるようだが、トンネルに続く道には無かったのと、この日のうちに三重県に辿り着きたかったので寄り道はしなかった。トンネルに続く道の右手に神武天皇腰掛石があった。


大狗子峠も小狗子峠も山道といえるような程度ではなかったが、途中には紀勢本線の線路があって道が分断されていた。小狗子峠を越えると、熊野古道の案内板が無くて不安になったが、地図を見ると、新宮に行く国道の位置から判断して下りた道を直進して、突き当りを歩くようなので歩くと間違いなかったが、自動車学校の前に出ると、来た道が熊野古道で、右手が国道42号線を示す案内板があったが、道なりに5分ほど歩いて、地元の人に道を尋ねると、どうも国道を歩かないと新宮に行けないようなので歩くと、小さい橋があり、その先にガソリンスタンドがあった。



そこから先は再び、国道を歩くことになる。佐野王子跡付近には大型の郊外型ショッピング・センターがあって、賑やかだった。新宮港前の黒潮公園で国道と別れて静かな古道を歩くことになる。




三輪崎小学校から高野坂へ出る道は踏切の無い線路を横切るのだが、熊野古道を示す説明板が無く、渡って良いのか、最初は戸惑ったが、線路の向こうに高野坂の案内板があった。歩き始めて、しばらくすると海が見える展望台に出る道の案内板があったので寄り道をしてみた。そこには海の彼方を遥拝できるところがあり、お堂もあった。引き返してすぐに金光稲荷神社の大きな赤い鳥居があり、注意書きがあった。読むと、要らなくなった人形を勝手に供える(捨てる?)人がいるらしく、それを禁止する注意書きだった!気持は分るが、人形は本来、「ひとがた」と読み、人間の代わりに罪穢れを受けるものだったので、勝手に供えることは捨てることと同じなので好ましくない!単に物の扱いならゴミとして捨てればよいのに、神社や寺に捨てるということは「単なる物」とは扱っていないのだろう…お払いや魂抜きの費用をケチっただけかもしれないが、ゴミには出来なかったわけだ!


高野坂で御手洗板碑は見たが、「孫八地蔵」なる地蔵尊らしきものは見なかった!見損なったのだろうか…翌日、JR新宮駅付近の商店街に「孫八地蔵」の写真があったが、全く記憶が無い…


さて、高野坂を下り終えたら王子ヶ浜に出る道があるはずなのだが、さっぱり分らなかった。そのまま車が通れそうな狭い道を道なりに歩いて行ったが、海岸も海岸沿いの紀勢本線の線路も全く見えず、いつしか国道42号線の方に出てしまった!

地図と現在地を照らし合わせると、王子神社からかなり離れた道へ出ているようなので、地元の人に現在地を確認しながら、とりあえず、王子神社へ行こうと決めた!王子神社へ辿り着くには、市田川沿いに歩いて、紀勢本線を渡らないといけない。線路を渡り、王子神社へ行く道を尋ねた。近付くに連れて、路面に王子神社・阿須賀神社・熊野速玉大社を示す古道の案内が塗られていた。そして、ひとまず王子神社へ参拝してから阿須賀神社へ行こうと思ったが、やはり、本来通るべきだった王子ヶ浜の道が気になって、古道の案内図に従って歩くと、たしかに、紀勢本線のガードがあり、その後ろは海だった。海の方へ向かうと、何と(!)紀勢本線のガードは工事中で回り道をしないと砂浜に出られなかった。
多少の回り道をしながら、王子ヶ浜の砂浜を那智の方へ向かって逆に歩き、30分くらいすると、砂浜が終わる辺りに水が海へと注ぐところがあり、そこに高野坂からの続きの道があった!そこはトイレ休憩したトイレのすぐ前だった・・・何てことだ!そこのトイレで休憩したのに、付近に熊野古道の案内板らしいものは無く、案内板さえしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのにと思いながら、辿り着いた道を再び王子神社まで砂浜を歩いて戻った…この砂浜を往復する際、私は足を取られて歩きにくい砂を避け、途中には尖った大きな白い石が並ぶところを歩いたためにウォーキング・シューズの右足が土踏まず辺りから足の拇の付け根辺りまで破れてしまった…
王子神社からは路面にある熊野古道案内標識を見ながら阿須賀神社に向かった。行く途中に古墳があり、境内には不動明王の梵字岩があった。阿須賀神社には午後6時少し前に着いた。このあたりは弥生時代から古墳時代の過渡期の住居跡があったらしい。帰ろうとすると、社務所から人が出て行ったが、呼び止めてご朱印を頂こうかと思ったが、二足くらい遅かった!


この日の最後は、JR新宮駅手前の徐福公園へ行った後、予約していたビジネスホテルに泊まるためJR新宮駅で打ち止めにした。まあ、こんなわけで予定が遅れに遅れてしまい、本当なら阿須賀神社と熊野速玉大社も参拝を終えて三重県入り出来なかった…


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