五 「歯車」──極限の文学

 「『話』らしい話のない小説」が「ジヤアナリズム」を排除することで成った作品であるとすれば、「河童」はその「ジヤアナリズム」の側面を生かして突出させた作品である。芥川は昭和二年三月に発表した「蜃気楼」と「河童」の二作によって、小説の持つ情緒的側面と認識的側面との間の振幅を最大限に横断してみせたのであった。
 しかし、「『話』らしい話のない小説」においては認識的側面が排除され、「河童」では情緒的側面が犠牲になるというように、小説の持ち得る幅の極点を目指すこうした試みにおいては、どちらか一方を損なうことによってもう一方を突出させるというやり方が採られていたのであった。この二つの試みにおいて手にした手法を生かしつつも、認識的側面と情緒的側面との双方を同時に体現することはできないものか──この二作を発表し、「文芸的な、余りに文芸的な」によって自らの芸術観の整理と確認を行いつつあった芥川が、こうした発想を抱くに至ったであろうことは想像に難くない。そして、この二作によって試みられた手法を融合し、集大成することによって成立した作品が、昭和二年十月に遺稿として発表された小説「歯車」であると考えられるのである。
 本章では「歯車」について具体的な検討を行っていくが、その前提として、昭和二年四月に発表された「誘惑」「浅草公園」という二つのシナリオ作品についてまず言及しておくことにしたい。これらのシナリオは、「『話』らしい話のない小説」と「河童」において示されていた手法のそれぞれと結びつつも視覚的効果を意図した表現において新境地を拓いており、それが「歯車」の表現にも影響していると考えられるからである。
 芥川がシナリオという表現形式を手掛けたのは、この二作のみである。末尾に付された脱稿の日付によれば、「誘惑」が昭和二年三月七日、「浅草公園」が昭和二年三月十四日とあり、芥川が一週間と間をおかずにこの二作を相次いで執筆し完成させていたことがわかる。最晩年に突如として現れたこれらの作品が、芥川の晩年の芸術意識と密接に関わっているであろうことは想像に難くない。芥川はこれらの作品に取り組むことによって、どのような表現を実践することを意図していたのであろうか。
 「誘惑」は全七十四章、「浅草公園」は全七十八章から成っており、一行から五・六行程度というごく短い断章を連ねる形式が採られている。この体裁は、アフォリズムの形式に酷似していると言うことができよう。各章の間の因果関係は説明されず、それぞれがほぼ独立してあるという点も共通している。
 しかし、アフォリズムが比喩を断言に言い換えることによってある思想や思念を端的に示すという、認識的な言語作用を駆使する表現であるのに対して、これらのシナリオはそうした言語作用を否定することを目指した表現であるという点が決定的に異なっている。シナリオは言語を用いた表現なのであり、言語特有の認識作用を孕んでいることは無論である。しかし、シナリオとは無声映画における映像表現を念頭におき、その視覚的効果を引き出すことを狙って書かれるものでもある。「誘惑」と「浅草公園」における表現は、カメラのアングルとそこに写るべき人物や事物の佇まいとの両者を意識し、人物の内面描写を一切排して視覚的効果のみを徹底して追及することで成った作品なのである。
 具体的な表現を例にとって考えてみることにしよう。次に引用するのは、「誘惑」の六章の全文である。

仰向けになつた水夫の死に顔。突然その鼻の穴から尻つ尾の長い猿が一匹、顎の上に這い出して来る。が、あたりを見まはしたと思ふと忽ち又鼻の穴の中へはひつてしまふ。(『芥川龍之介全集第十四巻』197頁)
 水夫の鼻の穴を猿が出入りする、という現実にはあり得ない、また実写の映像としては再現し得ない場面がここでは描かれている。作品の冒頭近くの断章であり、この表象が何を象徴しているのかは、この時点では読者には決して掴み得ないはずである。しかし、その強烈な視覚的イメージによって、無気味な圧迫感のようなものが多くの読者に印象づけられるのではないだろうか。最初の短い一文がカメラのアングルとそこに写る対象とを規定しており、猿の動きはその固定された視界の範囲内でとらえられている。画面にぶれがないことが、その視覚的イメージを鮮烈なものにしていると考えられる。
 「浅草公園」の十四章と十五章を見てみよう。
斜めに見た造花屋の飾り窓。造花は皆竹籠だの、瀬戸物の鉢だのの中に開いてゐる。中でも一番大きいのは左にある鬼百合の花。飾り窓の板硝子は少年の上半身を映しはじめる。何か幽霊のやうにぼんやりと。/
飾り窓の板硝子越しに造花を隔てた少年の上半身。少年は板硝子に手を当ててゐる。そのうちに息の当るせゐか、顔だけぼんやりと曇つてしまふ。(同219頁)
 この二つの章では、カメラのアングルを変えながら同一のイメージが表現されていると見ることができよう。ここで描かれているのは父とはぐれて浅草公園で迷子になった少年の様子であるが、上半身や顔が「ぼんやりと」曇って映るという視覚的な描写が示されることによって少年の心象と佇まいとが類推されるのみであり、心象を言葉で概念的に表現するような表現は作品全体において徹底して避けられている。描かれている造花類は浅草公園に見られる現実の風物であるが、少年の「ぼんやりと」した様子との対比によって却ってそうした物象の方がより鮮明な印象を与え、現実の再現として以上の存在感を示しているようにも感じられてくるのである。
 このように、この二作品では視覚的効果を意図した表現にのみ言語の働きが限定されている。それは、思想や感情などを語を尽くして説明するような言語の認識的な側面を敢えて抑圧し、視覚的な表現の連鎖によってのみ出来事や心象を感じ取らせるという表現手法であると言うことができよう。短い文章の中で視界の幅と焦点とが端的に示されていることで、各章とも鮮明なイメージを喚起し得ている。さらに、因果関係の説明が一切排除されていることによって、読者の想像力による参与の度合いが高められていることもまた重要であろう。
 友田悦生氏は「芥川龍之介と前衛芸術」(平2・7、「立命館文学」第517号)において、「シナリオは、言語表現のもつ便宜をみずから禁じた言語表現である」と規定している。シナリオは、セリフを決定的な要素とする演劇から映画を自立させるという要請によって登場したのであり、そのため「いっさいの概念的説明、前後関係や因果関係の指示、心理の解説等を禁じること、そして可視的なイメージのみを提示することによって、シナリオは、物語的な枠組に回収されえないものを現前させようとする」のだと論じているのである。
 芥川は、概念的説明の排除と視覚的イメージに限定した表現ということを無声映画のシナリオという表現形式に学び、それを具体的に実践してみせたのであった。因果関係が提示されているとき、個々の場面は筋の脈絡における意味へと還元されて捉えられてしまう。これらの作品では、その因果関係を敢えて明文化せず、視覚的表現の連鎖という形式をとることによって、描かれている物象が独自の存在感を持ち、場面から喚起される色彩や無気味さのイメージが鮮明に伝達されることになったのであった。
 こうした表現形式が、映画という映像芸術を模倣し、言語表現の持つ便宜を抑圧することによって成立したことは確かであるが、しかしこれらの作品がレーゼ・シナリオ、即ち読むシナリオという言語表現として執筆されたことの意味もまた考えておかなくてはならない。芥川は映像化を意図していたというよりは、友田氏の言うように「文学表現の革新」という点にシナリオという表現形式の可能性を見ていたと考えられるからである。
 田村修一氏は「『話』らしい話のない小説の道程」(平10・2、「昭和文学研究」第36集)において、「文芸一般論」(大14・1)における文芸の認識的側面についての言及を引きながら、芥川が「『言語』を媒介とするがゆえの文芸という芸術ジャンルの限界性の認識」を持っていたことを指摘している(注33)。言語は花を花と、山を山と認識し記述することによってその機能を果たすのであり、音楽のように情緒や感銘を直接に喚起するものではない。大正十二年以降、芥川は文芸作品に認識的側面と情緒的側面とを指摘し、前者を言語そのものの特性による不可避の特徴であるとしつつ、あらゆる芸術に共通するものとして後者を提唱し、後者に重きを置くようになったのである。
 芥川は転換期以降、情緒を直接に伝え得る芸術として、絵画や音楽に対する憧れを表明するようになっていた。言語の認識的側面は芥川には確かに文芸作品の限界として認識されており、それゆえに「『話』らしい話のない小説」の提唱に際してはセザンヌの後期印象派の絵画を(注34)、またシナリオ作品においては映画の表現を念頭に置いて創作を行ったのであった。
 しかし、限界の認識はむしろ、表現の特徴や可能性を別の側面から照らし出すことにもつながるのではないだろうか。たしかに、映画が映像によって直接的に事物を指し示すのに対して、言語表現は事物を名指し、その状態を指し示しはしても、事物を目の当たりに描くことはできない。しかしそれは言語表現の限界であると同時に、読者の想像力による参与の度合いが映像表現以上に強いという特色を示していると考えることもできるのではないだろうか。芥川は初期作品において、概念的説明や意味づけを積極的に付け加えていくという足し算の表現を行っていたのであった。それは言語の認識的側面を活用し、言語表現の特殊性を生かした表現技法の一種であったと言うことができよう。一方、鑑賞者の参与の重要性を認識するようになっていた晩年の芥川が実践していたのは、概念的説明や意味づけをむしろできるだけ剥奪し、読者の積極的な参与を促すことで、読者の脳裏において鮮烈なイメージを生成させるという引き算の表現ということであったのではないだろうか。個々人の脳裏においてイメージを立ち上がらせるというこの技法もまた、鑑賞者の想像力を最も多く喚起しうるという言語表現の特徴の別の一面を引き出す試みであったのである。
 田村氏は先の論文において、芥川は「文学という、言語を媒介とする言語表現の困難性・限界性に直面しながらも、その中で彼はあくまでも言葉にこだわり、言葉が生み出す情緒(=詩)の可能性、つまりは言葉のみによる芸術表現の可能性を模索していた」のだと論じている。芥川は徹底して言葉にこだわり続けた作家だったのであり、表現形式に見られるその顕著な変遷もまた、言葉による芸術表現の可能性をどこまでも追求しようとする姿勢から生み出されたものであったと考えることができるのである。
 この二つのシナリオは、断章の連鎖という形式がとられ、その断章相互の因果関係が明示されないという点において、また端的で明快な表現によって読者による解釈の参与の余地を作り出している点において、アフォリズムの形式や、それをもとにして成った「河童」等の作品と共通しているということができよう。
 また一方では、「『話』らしい話のない小説」の傾向との類似性をも指摘することができる。友田悦生氏は前掲の論文において、「視覚的イメージがあまりに鮮烈なために、〈筋〉への興味が著しく後景に退く」ことをこれらのシナリオの特性として挙げ、「芥川が〈筋のない小説〉を提唱し、かつシナリオの執筆を試みたのは、〈筋〉に絡めとられえない内部感情の様態を、〈筋〉以前の『詩的気分』として現前させんがためである。」と論じている。これを本論の議論に即して言い換えるなら、これらのシナリオにおいて追求されていたのは、話の筋といった「通俗的興味」を極力排し、読者の脳裏に生成される視覚的映像そのものの示すイメージを表現することであったということになろう。これらの作品が実現したのは現実の再現描写ということでなく、現実にはあり得ない場面を想起させたり物象を現実以上の存在感によって示すということだったのであり、それは、そうした視覚的映像の想起を通して、イメージや手応えといった「或感じ」を読者に感受させる意図によって試みられていたのである。「『話』らしい話のない小説」と全く異なる表現形式でありながら、感覚的イメージを表現するという意図においては通底していると言えよう。
 シナリオは、「河童」などアフォリズム形式を活用した作品群と、「蜃気楼」など「『話』らしい話のない小説」群との両者からその手法を引き継ぎつつ、視覚的効果の可能性を追求するという新しい試みを加味して成立した作品であった。晩年の芥川文学を特徴づける手法が、それぞれの作品を通して確立されてきていたのである。それらを高い次元で融合し、改めて小説という表現形式において完全に芥川的なものとして一つの独自の世界を作り得たのが、芥川の遺稿となったこの「歯車」であると私は考えている(注35)。
 では、「歯車」の考察へと移ることにしよう。「歯車」は六つの章から成っているが、物語としての結構は意図されておらず、小品を複数連ねるという〈保吉もの〉と同様の形式がとられている。章ごとに場面や主人公を取り巻く事物は若干スライドしていくものの、各章は徘徊する主人公があらゆる事象に自らを圧迫するものを見てしまう様を描いている点で共通しており、断章の連鎖は主人公と外界との摩擦をなぞり直し積み重ねるように機能している。より正確に言えば、各章の内部にも筋の展開など物語としての脈絡は見られないのであり、主人公が外界の事物を眼差してはそれとの軋轢から心理的、あるいは身体的な変化を来す様が各章の内部でも数珠状の連鎖を描いて示されているのである。
 この作品では、「感じる」という動詞や、「〜な感じ」「〜らしい感じ」といった形での「感じ」という名詞が多用されている。「一 レエン・コオト」の章に限定しても、動詞として「田舎を感じた」「彼女の鼻に蓄膿症のあることを感じ」「矛盾を感じた」「話したい心もちを感じた」「頭痛を感じ」「病的な破壊慾を感じ」「僕自身の立ち姿を感じ」の七例、名詞では「一人前の女と云ふ感じ」「気違ひらしい感じ」「監獄らしい感じ」「平和な感じ」の四例が登場しているのが見られる(注36)。
 この作品において顕著なのは、主人公が外界の事物や他者から提示された言葉を事物そのものや言葉そのものとして認識するだけでなく、それをなんらかの「感じ」即ち感覚的なイメージに翻訳して捉え、そこから「頭痛」や「破壊慾」といった身体的症状や感情が喚起されるというパターンが繰り返されているということである。「二 復讐」から一節を引こう。
彼等の一人はその拍子に「イラ々々してね」と言つたらしかつた。/(中略)/「イライラする、──tantalizing──Tantalus──Inferno………」/タンタルスは実際硝子戸越しに果物を眺めた僕自身だつた。僕は二度も僕の目に浮かんだダンテの地獄を呪ひながら、ぢつと運転手の背中を眺めてゐた。そのうちに又あらゆるものの嘘であることを感じ出した。政治、実業、芸術、科学、──いづれも皆かう云ふ僕には恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかつた。僕はだんだん息苦しさを感じ、タクシイの窓をあけ放つたりした。が、何か心臓をしめられる感じは去らなかつた。(『芥川龍之介全集第十五巻』55頁、傍点引用者・以下同様)
 主人公は「イラ々々してね」という通りすがりの人物の言葉を契機として連想の展開を行っているのであるが、その言葉を発せられた文脈に即して捉えるのではなく、自分自身の感覚に訴えるところまで翻訳した上で特殊な「感じ」を得ている点にその特異性が示されている。日本語を英語に言い換えるといった言葉のレベルでの翻訳と連想を端緒として、あらゆるものの嘘を「感じ」るという抽象化・普遍化において自分に引きつけ、それがさらに「息苦しさを感じ」、「心臓をしめられる感じ」を覚えるといった身体的な症状として感受されるという経過を辿っているのである。
 清水康次氏は「『歯車』のことば」(『芥川文学の方法と世界』和泉書院、平6)において、「ことばが、もともとの領域や文脈から引き離されて、別の新たな領域や文脈を与えられる」という作用を「歯車」の特徴として指摘し、それを「変容のモチーフ」と名づけているが、この引用箇所はまさにその変容を示していると言えよう。ここでは「イラ々々してね」という、本来の文脈においては何の変哲もなかったはずの言葉が主人公の連想において変容し、主人公自身の作り出す新たな文脈に置き直されている。当たり前の言葉が主人公固有の世界の言葉へと変貌しているのである。
 主人公は、外界のあらゆる事物や出来事を自分にとって切迫した切実なものへと変換し、そこに暗号や象徴を見出すような意識の働きを導き出している。「六 飛行機」の一節を引用したい。
この往来は僅かに二三町だつた。が、その二三町を通るうちに丁度半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通つて行つた。僕は横町を曲りながら、ブラック・アンド・ホワイトのウィスキイを思ひ出した。のみならず今のストリントベルグのタイも黒と白だつたのを思ひ出した。それは僕にはどうしても偶然であるとは考へられなかつた。若し偶然でないとすれば、──僕は頭だけ歩いてゐるやうに感じ、ちよつと往来に立ち止まつた。(『芥川龍之介全集第十五巻』80頁)
 ここでは、「五 赤光」において登場していた「Black anc White」というウィスキイの名前の記憶が、犬や通りかかった人物のタイの配色と「偶然」ではなく必然的な符合として結びつけられているが、これは通常の場合、主人公以外の他の人物にも違和感なく共有される感覚ではない。ウィスキイの名前をウィスキイの名前として、犬を犬として、知人のネクタイを知人のネクタイとしてそれぞれ事物そのものとして認識している場合には、この三者に相関関係を見出すことなどはあり得ないのである。主人公はそうした名前や色を自分の「感じ」に翻訳して理解しているためにその三者を関連づけてしまうのであり、主人公の生きている世界は主人公の感受性によって色づけられた世界である。この「ブラック・アンド・ホワイト」のほか、冒頭から頻出している「レエン・コオト」、そして「?鼠」や「翼」といったものや言葉は、この作品においてそうした暗号や必然的な符合を特に強く感じさせるものとして描かれているのである。
 「ブラック・アンド・ホワイト」の例からは、この作品における色彩表現の特徴をも指摘することができよう。前田潤氏は「原色の世界──『歯車』分析──」(平5・7、「立教大学日本文学」第70号)において、「作中に色を名指す言葉を散りばめることで、作品に絵画的空間を造型しようとする」作者芥川の表現意識を指摘し、「視覚現象のみが唯一の『意味』にほかならぬ『色』は、その他の属性を帯びていないが故に暗号としての働きを果たし易い『もの』であった」とその暗号としての特性についても言及している。芥川は先に論じて置いた二つのシナリオにおいて、描かれている物象の存在感や色彩の鮮やかさや無気味さのイメージなどを読者の脳裏に鮮烈に焼きつける手法を手にしていた。話の筋といった物語上の因果関係などを明示せず、視覚的表現のみを連鎖していくことによって、物象やその物象の喚起するイメージそのものを力強く示し得ていたのである。
 「歯車」における色彩表現は、このシナリオにおける手法を援用することによって成ったものと捉えられよう。ウィスキイのエピソードにおいて登場した「Black and White」とは、色彩そのものではなく色彩を示す言葉であるに過ぎない。しかしそれが、犬やタイの配色として視覚的なものとして主人公の前に現前することによって主人公を圧迫し、「頭だけ歩いてゐるやう」な「感じ」をもたらすのである。「五 赤光」では主人公は「赤光」という歌集の題名に脅かされるが、それは、それ以前に「僕を照らしている無気味にも赤い光」(73頁)の視覚的な現前を体験していたからにほかならない。主人公は色彩を目の当たりにすることによって脅かされたり、平和や調和を味わったりしているのであり、主人公の感覚の変化や身体的な症状の現出は色彩と強く関わっているのである。
 これは、読者の鑑賞時の作用にも置き換えて考えることができるのではないだろうか。通常の読者にとって、「Black and White」や「赤光」は単なるウィスキイや本の名称に過ぎず、そこから即座に色彩を色の実感として思い浮かべることは少ないであろう。しかし、他の場面において犬やタイの色彩が明示され、それを映像的に脳裏に思い浮かべつつ読み進めるとき、主人公自身の身振りを追体験することによって「Black and White」や「赤光」までもが色彩の手応えを持つものとして想起されてしまうようになるのではないだろうか。現実の物象を現実以上の手応えによってイメージさせるというシナリオにおける視覚的イメージ表現の技法が、ここで援用されているのである。「歯車」における色彩表現の特徴は、色彩を読者の脳裏に強烈に立ち上げることによって、主人公自身の囚われている感覚的イメージを読者にも同様に感受させるという表現効果にこそあるのである。
 主人公は外界の事物や言葉を自らの「感じ」に変換し、またそれを自分にとって切実な象徴や暗号として捉えることで、身体的な変化を来し不安や無気味さを感じ取っている。ただし、ここで一つ確認しておきたいのは、そうした過程において主人公は絶えず受動的な立場にあるということである。副田賢二氏は「芥川龍之介『歯車』論──投企としての逸脱──」(平5・3、「山口国文」第16号)において、主人公が外界の事象に刺激を受け、恐怖や不安を感じとっていることに関して、「『僕』という存在があらかじめ自らの生の構造的問題を意識化し、そこにおける自己矛盾や閉塞感自体を、これらの言葉の感触中に漏出、投影させているのでは」なく、「『僕』の〈外部〉から半ば偶発的に示唆され」ることからすべて発しているのだと論じている。主人公は外界の事物や他者の言葉を自分自身の「感じ」へと変換することによって固有の世界を構築しているが、それは意志とは無縁な徹底して受動的な働きである。感覚を媒介としたイメージへの翻訳によって他の誰とも共有し得ない固有の世界を形成しつつも、主人公はそれを意志しているのではない。意識に統御し得ない不可避のこととしてそうした感覚の氾濫が起こっているのである。
 では、そうした感覚の氾濫は、何によってもたらされているのであろうか。この作品では主人公の感覚や身体的症状が強調され繰り返し明示されているものの、主人公にそうした状態をもたらすものが何であるのかは追求されていない。主人公は様々な暗号や符合を必然のもの、自らにとって切実なものとして感じ取りつつも、それがどこからもたらされるものなのかは掴み得ておらず、探求してもいないのである。主人公が自らの不安感や歯車の回転といった身体的症状をもたらすものに対して与えているのは、「何ものか」という呼び名である。以下、「何ものか」という表現が作中に表されている箇所を確認していきたい。
@先生、A先生、──それは僕にはこの頃では最も不快な言葉だつた。僕はあらゆる罪悪を犯してゐることを信じてゐた。しかも彼等は何かの機会に僕を先生と呼びつづけてゐた。僕はそこに僕を嘲る何ものかを感じずにはゐられなかつた。何ものかを?──しかし僕の物質主義は神秘主義を拒絶せずにはゐられなかつた。僕はつひ二三箇月前にも或小さい同人雑誌にかう云ふ言葉を発表してゐた。──「僕は芸術的良心を始め、どう云ふ良心も持つてゐない。僕の持つてゐるのは神経だけである。」………(『芥川龍之介全集第十五巻』53頁)
A僕はやつとその横町を見つけ、ぬかるみの多い道を曲つて行つた。するといつか道を間違へ、青山斎場の前へ出てしまつた。それは彼是十年前にあつた夏目先生の告別式以来、一度も僕は門の前さへ通つたことのない建物だつた。十年前の僕も幸福ではなかつた。しかし少くとも平和だつた。僕は砂利を敷いた門の中を眺め、「漱石山房」の芭蕉を思ひ出しながら、何か僕の一生も一段落のついたことを感じない訣には行かなかつた。のみならずこの墓地の前へ十年目に僕をつれて来た何ものかを感じない訣にも行かなかつた。
B僕はもう夜になつた日本橋通りを歩きながら、屠龍と云ふ言葉を考へつづけた。それは又僕の持つてゐる硯の銘にも違ひなかつた。この硯を僕に贈つたのは或若い事業家だつた。彼はいろいろの事業に失敗した揚句、とうとう去年の暮に破産してしまつた。(中略)僕は突然何ものかの僕に敵意を持つてゐるのを感じ、電車線路の向うにある或カッフェへ避難することにした。(58・59頁)
C冬の日の当つたアスファルトの上には紙屑が幾つもころがつてゐた。それ等の紙屑は光の加減か、いづれも薔薇の花にそつくりだつた。僕は何ものかの好意を感じ、その本屋の店へはひつて行つた。(65頁)
D三番目に封を切つた手紙は僕の甥から来たものだつた。僕はやつと一息つき、家事上の問題などを読んで行つた。けれどもそれさへ最後へ来ると、いきなり僕を打ちのめした/「歌集『赤光』の再版を送りますから………」/赤光! 僕は何ものかの冷笑を感じ、僕の部屋の外へ避難することにした。(76頁)
E火事──僕はすぐにかう考え、そちらを見ないやうに歩いて行つた。すると自転車に乗つた男が一人まつすぐに向うから近づき出した。彼は焦茶いろの鳥打ち帽をかぶり、妙にぢつと目を据ゑたまま、ハンドルの上へ身をかがめてゐた。僕はふと彼の顔に姉の夫の顔を感じ、彼の目の前へ来ないうちに横の小みちへはひることにした。しかしこの小みちのまん中にも腐つた?鼠の死骸が一つ腹を上にして転がつてゐた。/何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は急に数の殖ゑるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。(84頁)
 主人公は「何ものか」を、「僕」を嘲ったり冷笑したり狙ったり、敵意や好意を示したり、夏目先生の墓地へ誘導したりするような意志を持った実態として把握している。主人公は「何ものか」の存在を確信し、自らの感覚の推移や身体的症状の昂進をその「何ものか」の意志に帰するのである。意志が主人公ではなく主人公には左右し得ない「何ものか」の属性とされていることに注意しておかなくてはならない。主人公は「何ものか」を擬人化し、自明の存在のように語りながら、その正体をつきとめようとはしていない。この「何ものか」は主人公自身の生に大きく食い込んでおり、主人公は「何ものか」を恐れつつもそれに引きずられることによってその生を営んでいるのである。
 ではこの「何ものか」を、どのようなものとして捉えればよいのか。作中におけるこれと類似した表現として、「運命」という語を指摘することができるように思われる。「彼の悲喜劇の中に運命の冷笑を感じるのは次第に僕を無気味にし出した。」(51頁)という一節、また「僕はこの製本屋の綴ぢ違へに、──その又綴ぢ違へた頁を開いたことに運命の指の動いてゐるのを感じ、やむを得ずそこを読んで行つた。」(77頁)という箇所から、主人公が偶然の出来事にそれを左右する「運命」の意志を発見している点において、「何ものか」との用語としての共通性を見ることができるであろう。しかし、注意して読み取らなくてはならないのは、主人公が「運命」という語を用いているときの冷静さ、客観性である。前者において主人公が「運命の冷笑」を指摘しているのはトルストイの小説中の人物に関してなのであり、また後者は本人に関する話題ではあるものの、「運命の指」の現実への関与を認識しつつも主人公は「そこを読」み進めるだけの余裕を持っている。これに対して「何ものか」は、主人公本人にとって切迫した状況、否応なしに感覚や身体的症状の変化に晒されずにはいられないような場合にのみ用いられていると言えるのではないだろうか。「何ものか」は「運命」のように客観化して捉えることのできないような、主人公個人にとっての切実な何ものかを指して用いられていると考えられるのである。
 にもかかわらず、主人公は「何ものか」の正体を突き止めようとはしていない。何故なのか。それは、「何ものか」が主人公にとって真に自明なものだからというわけではなく、また、読者にその実態の把捉を委ねるために作者が意識的に空白を仕掛けたということでもない。むしろその「何ものか」は、存在そのものは感じられるものの、「何ものか」という以上には決して言語化し得ないようなものとして主人公に捉えられていたためであると考えるべきであるように思われるのである。
 指摘してきたように、この作品では主人公の感覚と身体的に表れる症状とに徹底して焦点があてられており、主人公の接する外界の事物や言葉や人物たちはすべて主人公によってある「感じ」に翻訳され、固有の文脈に置き直されている。主人公の感覚のみによって世界が構築されているのであり、その表層が何度もなぞり直されることによって、読者にもその世界の共有が強いられているのである。こうした主人公の感覚や身体的症状とそれを意味づけようとする運動は、言語化し得ないものとしてその感覚の基底にある「何ものか」の周りを延々と巡っている。「何ものか」は直接描き得ないがゆえに「何ものか」に触れて擦れることによって生じた主人公の感覚や症状のみが描かれるのであり、この作品ではその表層の堆積によって「何ものか」に迫る試みがなされていると捉えることができるのである。
 これは、「『話』らしい話のない小説」において実践されていた試み、「意識の閾の外」が日常に侵食してくるときの無気味な印象を感覚的な描写において捉えようとしていたその試みを、引き継いだ表現であると考えられるのではないだろうか。「何ものか」とはつまり、主人公の「識域下の我」であり、主人公自身と密接に関わってはいるものの意識によって捉えることはできず、言語化することもできず、ただ感覚によってその存在が察知され得るようなものなのである(注37)。主人公自身の「識域下」の投影であるがゆえに「何ものか」は他者とは共有できない主人公固有の世界を作り出すことに関わりつつ、しかし主人公自身には意識し得ないものであるがゆえに主人公はそれを恐れるのである。無気味さのイメージはその畏怖に関わっているのであり、読者もまた主人公の感覚や身体的症状といった細部の描写の堆積に触れることによって、「何ものか」から滲み出る無気味なイメージを自分自身の感覚において感受することになるのである。
 「歯車」はこのように「『話』らしい話のない小説」において追求されていた内容的なモチーフを引き継いでいるものの、しかし単純にそれと同じ傾向の作品として扱うこともできない。それは、「大導寺信輔の半生」から「河童」への系譜において実践されていた、認識的側面の強調による自己の戯画化という作用が、この作品にも適用されているためである。「『話』らしい話のない小説」が「識域下の我」が日常に侵食してくる際に感受されるイメージをそのものとして描くことを主眼としていたとするならば、「歯車」で行われているのは、そのイメージに翻弄される人物としての主人公「僕」を戯画化して描くということである。「識域下」の領域自体の孕む無気味さをそれとして捉えつつも、その上でその無気味さに囚われた人間がどのような行動と神経作用に陥るのか、それを極限の地点において捉えたのが「歯車」なのである。「『話』らしい話のない小説」における射程を引き継ぎつつ、さらにそれに対するメタ・レヴェルの視点をも組み込んだ作品であると言うことができるだろう。
 「歯車」の主人公は「A先生」と呼ばれる小説家であり、「侏儒の言葉」や「戯作三昧」の作家であると作品中で明示されている。主人公を芥川龍之介本人であると解釈させる要素がいくつも仕掛けられているのであり、この作品を芥川の自殺から離れて解釈することは不可能だとする見解は(注38)、こうした作中の仕掛けを重視するところから来ていると言えよう。
 しかし、この作品が作家芥川龍之介自身の体験をもとにして書かれていることが事実であるにしても、やはりこの作品も、芥川の心境の表白であるとは読み得ない。それは、芥川が人格というものを徹底して懐疑していたこと、そしてそれに伴って人格の素朴な投影としての心境の表白もまた否定していたということから説明できる。三章でも指摘したように、人格とはある一人の人物の精神性として把捉できるもののことであり、人間の意識や意志の領域と密接に結びついた言葉である。一方芥川は、意識や意志によっては左右できないものをこそ描こうとしていたのであった。意識できない領域の侵食によって主人公の感覚や身体的状態や行動が不可避に規定されるのが「歯車」の主人公の置かれている状況なのであり、それは統一された一貫した精神性を指す人格とは無縁であると言わなければならない。むしろ思想や心境によって統一された人格としての人間像を徹底的に懐疑し否定することによって、「歯車」の主人公が造型されたと見るべきである。安定した精神性というものを剥奪され、感覚的イメージの無限の連鎖のみによって生の持続が保証されているような人間像として、「歯車」の主人公は描かれている。主人公が「A先生」と呼ばれたり、過去の自作について他者から言及されたりすることを嫌悪しているのは、過去から現在までを安定した統一的自己像において把握することを拒否する姿勢から来ているものと考えることができよう。
 芥川は、自伝的作品を描くに際して自分自身の持つある一部分のみを強調し、突出させて描くという手法を「河童」に至る系譜において確立していた。統一された人格を措定していないという点で、「歯車」は既に通常の自伝とはかけ離れた位置を占める作品であると言わなくてはならないが、芥川は自分自身の体験におけるある一側面のみに焦点化し、それを戯画化して示すという方法によってこの作品を書き上げたのであった。この作品において焦点化されたのは、「識域下の我」に突き動かされ、感覚的イメージの氾濫こそを生そのものとするような人間像としての自己である。そしてそれを描出することは、芥川が憧れ模倣した志賀直哉から最も遠い場所へと着地することであったに相違ない。
 大正十二年以降の芥川の芸術観と作風における転換は、文学者の社会意識という課題を契機とする同時代的な要請によるものであった。芥川はそこから芸術の芸術的価値を模索し、また社会意識と自己意識を追求するという道に踏み込んでいくことになったのである。散文芸術自体の社会性を提唱することもできず、また芸術至上主義の立場に立って社会意識そのものを対象化する立場に自己を位置づけることもできず、いずれにも安住・自足できないゆえに、芥川は独自の道を探り続けなければならなかった。芥川はあらゆるものに対する徹底した懐疑をその立脚点とし、自己の芸術を、そして自己自身の人格の安定性をも懐疑するところまでそれを押し進めていったのである。ただし、芥川は「小説作法十則」の附記において、「僕は何ごとにも懐疑主義者なり。唯如何に懐疑主義者ならんと欲するも、詩の前には未だ嘗懐疑主義者たる能はざりしことを自白す。」(『同第十六巻』32頁)と書き記していた。芥川が晩年に「詩的精神」を提唱したのは、芸術の芸術的価値の源泉としての「詩」、即ち人を「静かに」させるような「詩的精神」の荘厳に対してのみ、提唱すべき唯一の価値を見出していたからにほかならない。晩年の芥川文学は、「詩的精神」と自己否定とに言い尽くされるのである。
 「詩的精神」を成り立たせるものとしての作家の意識を超えた「魂」の追求と、自らの意識を懐疑し否定することによって「識域下」を措定することとが、まず「『話』らしい話のない小説」において一体のものとして結合していたのであった。「歯車」が成し遂げたのは、そこにシナリオによって手に入れた視覚的イメージの鮮烈な表現と、「河童」に至る自伝的作品群における自己の戯画化という手法とを融合することによって、先にも後にも例のない、芥川独自の文学世界を現出せしめたということである。時代の要請によって変化を余儀なくされ、過去の自らの作風を徹底的に懐疑し否定していく中で、しかし芥川は表現を何よりも重視し、言語表現によって読者の脳裏に生成される強烈なイメージや手応えを最大限に引き出すという独自の技法による文学世界が確立されたのであった。「歯車」は、否定に否定を積み重ねることによって成った、極限の文学である。
 前田潤氏は前掲の論文の中で、「広津和郎等による初期の論評から、近年の作品研究に至るまでの諸評家の多くが、その論旨の違いに関わりなく、自論のうちのどこかで、『薄気味悪く』とか『病的な』といった表現で、この作品全体から看取される一種独特な雰囲気について語ってしまうという事態」について指摘しているが、この作品の表現から看取されるこうした「一種独特な雰囲気」こそが、表現そのものの力によって感受される「詩的精神」であり「純粋な作家の面目」であると言えるのではないだろうか。「歯車」から立ち上る幽鬼、負の磁力を帯びたその色合いこそが、芥川が懐疑と自己否定の果てに最も熱く燃え立たせることを得た「詩的精神」であり、作家芥川龍之介の「魂」なのである。
 「歯車」は、決して芥川龍之介の告白として読むべき作品ではない。芥川は現実の生身の自己を作品において再現し定着させようという意図を持たないばかりでなく、表現そのものの自律性を信頼し、表現と現実との事実性における対応を一切顧慮しない作家であった。芥川が「詩的精神」の提唱に際して「作家の面目」を云々しつつも、飽くまで表現から看取される作家の「魂」のみを問題にしていたことを改めて想起しなくてはならない。芥川は、事実性の保証のもとに作品を味わうような鑑賞を徹底して拒否していた作家であったのである。遺稿として「或阿呆の一生」を久米正雄に託するにあたって、「インデキスをつけずに貰ひたい」(『同第十六巻』37頁)と書き遺したことは、その意志を端的に表していると言えよう。作品は作家の人生から独立して、表現そのものとしてあるのだと芥川は主張しつづけていた。「歯車」を芥川の死という「インデキス」によって逆照射して捉えることは、芥川の意志にも、また芥川の作品の示している特徴にも背くことであると言わざるを得ない。
 「歯車」はただ作品の表現そのものに澎湃する「詩的精神」によって、文学の一つの極限を体現して屹立している。芥川は葛西善蔵と滝井孝作の作品から感受される「詩的精神」を「雨中の風景に似た或美しさ」と表現しているが、「歯車」の「詩的精神」はそれよりももっと硬質な、切迫した、敢えて言うならば蒼く立ち上る焔のような美しさを示しているように思われる。その美しさは芥川の死という事実の照射によるものではなく、あくまでその表現そのものから見出されるものであることを強調して、本論を終えることとしたい。
 

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(注33)田村氏がこの論において引用しているのは、「文芸一般論」の次のような箇所である。
「文芸は言語或は文字を表現の手段とする芸術であります。その又言語は第一に意味を、第二に音を持つてゐます。今音は少時措き、意味と言ふものを持つてゐる限り、言語は到底認識的要素を脱する訳に行きません。音楽の表現の手段とする音や絵画の表現の手段とする色はこの要素なしにも成り立つて行きます。(尤も絵画でも人とか馬とか或は又樹木とかを描けば、人を人と認め、馬を馬と認め、或は又樹木を樹木と認める以上、この要素のあるには違いありません。)しかし言語は『山』と言へばその『山』と言ふものに如何なる情緒を感ずるにもせよ、兎に角『山』と言ふものを認めることにある筈であります。(中略)かう言ふ言語を表現の手段にしてゐるのでありますから、文芸はどうしても認識的方面を捨てゝしまふことはできません。いや、寧ろ文芸は如何なる他の芸術よりも認識的要素の多いことを特色としてゐるとも言はれる位であります。」(『芥川龍之介全集第十一巻』284・285頁)

(注34)芥川は「文芸的な、余りに文芸的な」の「一 『話』らしい話のない小説」において、「デツサンのない画は成り立たない。(中略)しかしデツサンよりも色彩に生命を託した画は成り立つてゐる。幸ひにも日本へ渡つて来た何枚かのセザンヌの画は明らかにこの事実を証明するのであらう。僕はかう云ふ画に近い小説に興味を持つてゐるのである。」(『同第十五巻』148頁)と書いている。

(注35)「一 レエン・コオト」の章のみは昭和二年六月に「大調和」に掲載されている。
 本論で言及している昭和二年に発表された芥川の作品の脱稿日を『芥川龍之介全集第二十四巻』の年譜(宮坂覚編)によって示しておくと、「蜃気楼」(二月四日)、「河童」(二月十三日頃)、「文芸的な、余りに文芸的な」の前半部(二月十五日)、「誘惑」(三月七日)、「浅草公園」(三月十四日)、「歯車」の「一 レエン・コオト」(三月二十三日)、「二 復讐」(三月二十七日)、「三 夜」(三月二十八日)、「四 まだ?」(三月二十九日)、「五 赤光」(三月三十日)、「六 飛行機」(四月七日)となる。時期的な近接は明らかであり、最晩年に非常な勢いで芥川が執筆活動を行い、ごく短期間のうちに表現技法の洗練が行われていったことが理解されよう。
 なお、なぜ「一 レエン・コオト」の章のみが六月に発表され、既に脱稿していたにも関わらず二?六章は発表されたなかったのかという疑問が残るが、自殺時に枕元に「歯車」の原稿を遺したということもあり、芥川が「歯車」を自らの小説の中でも特別なものと位置づけ、遺稿としての性格を与えようとしたと捉えることができるのではないか。

(注36)『作家用語索引芥川龍之介別巻』(教育社、昭60)の「作品一覧全語出現度数表」によれば、「歯車」における動詞と名詞を合わせた「感じ」「感じる」「感ぜ」の総数は五十五例にのぼる。

(注37)田口律男氏は「芥川文学に於ける狂気とモダニズム」(平9・10、「日本近代文学」第57集)において、「歯車」におけるレエン・コオトを着た男や「Worm」の表徴などを「抑圧されどこかに置き去りにされていた〈閾域下の我〉が意識の隙間から漂い」出たものであると指摘し、「芥川は、かくの如く、テクストのあらゆる細部に、〈閾域下の我〉を暗示するモノ・コト・ヒトを散種する仕掛け(ストラテジー)を施している」と論じている。田口氏は「識域下の我」を「何ものか」と結びつけてはいないものの、「歯車」の主人公が接触するあらゆる事物や人に「識域下の我」の投影を見ている様を指摘している点において、本稿の議論と関わっている。

(注38)宮坂覚氏が「自裁から遡行して読むことからは自由になれないだろう」(「歯車」、昭60・5「国文学」)と述べていることなどを挙げることができる。宮坂氏は『芥川龍之介作品論集成第六巻 河童・歯車』(平11・12)の解説において、近年は「歯車」を独立したテキストとして読もうとする論が登場してきていることを指摘しつつも、「なかなか、自裁から自由になれない」状況が続いていると指摘している。
 

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