■2002/03/15 (金) 理解ある人たち

「イスラムは暴力主義ではない。
 イスラムは女性を抑圧する宗教ではない。
 イスラムは平和を志向している。
 イスラムは民主的で寛容な宗教だ」

イスラムに「理解のある」非モスレムはときどきそういう。
それは、イスラムを非難する非モスレムに向けられることもあるが、
彼らが思うところの「非寛容」であったり、「暴力的」であったり、
「抑圧的」であったりする、いわゆる「原理主義者」や「過激派」を説得したり、
なだめたりするときもそういう。
そんなとき、モスレムはいつも思う。

「だってあなた方は、それを信じてはいないではないか。
 なぜ自分が信じてもいないことを、他人に言うのだろう」

タリバンによるバーミヤン大仏破壊が世界の非難を浴びたとき、
ある「理解ある」非モスレムの友人が言った。

「あなたはイスラムが寛容な思想であることを示すためにも、
 同じモスレム同士身内を庇っているという非難を浴びないためにも、
 この行為に対して、厳然とタリバンを非難すべきだ」

私はタリバンがモスレム同士の殺し合いを続けていることに非難を続けてきたが、
石を壊したことを非難する理由がない。
なぜなら、その石はイスラム法上も、国際法上も、彼らの専有物で、
彼らに処理方法を決める権限があるからだ。
イスラムは人間の尊厳を認める宗教であるというのが私の解釈だが、
石に権利など認めはしない。
その石に学術的に価値がある。
芸術的に価値がある。
仏教徒にとって宗教的価値がある。
それは知っている。
しかし、その石は仏教徒の所有権の及ばないものであるし、
学術的、芸術的価値よりも、
占有権者の宗教的価値観が優先されることは致し方ない。
タリバンも私もモスレムだが、彼らの宗教的価値観と私のそれは全く違う。
私は石を壊すことが善行だとは思わないが、彼らはそう思う。
他人が私の宗教的主張に口を挟めないのと同様に、
私もタリバンの宗教的主張に口を挟むことはできない。
残念だろうがどうだろうが、他人のものなのだ。

タリバンが石を破壊したときに非難した
「理解ある」非モスレムの市民たちの多くは、
タリバンがハザラ人を殺戮したときや、
国連がアフガン人を餓死させたとき同様、
米国がアフガン人を殺戮している現在、非難の声を挙げていない。
彼らは自分たちの「寛容さ」や「平和」や「民主的」なさまの意味するところを、
自らの行為で示したのだ。

■2002/03/14 (木) 広河さんの憂鬱

アジアプレスの「諸君」、ジャパンプレスの「先輩」、
広河隆一さんが皆さんの悪口を書いているよ。

アフガン報道に思う“何をどう伝えるのか”
http://www.hiropress.net/viewpoint/020127_3.html

反論するか、恥を知るか、どっちかにした方がいいと思うよ。

それにしても、広河隆一氏、櫻井よしこ氏、いずれも薬害エイズ事件で
国や製薬会社と闘い、解決に貢献した英雄的ジャーナリストだった。
しかし、9・11以後の二人の反応は凡そ正反対といっていい。

面白いから吊し上げてみよう。
先日も櫻井氏がチェチェン戦争に関して書いた記事を
リンクさせていただいたが、
こちらは氏が9・11に関して書いた論文だ。

週刊ダイヤモンド2001年10月6日号 
オピニオン縦横無尽 415
「米国同時多発テロに対する報復不要論にみる非合理性」
http://www.yoshiko-sakurai.net/works/works_diamond_011006.html

二人ともこれまで、アフガニスタンを取材したことなどなかった。
広河氏は今回、初めてアフガニスタンを取材して、
後輩とも言うべきフリージャーナリストたちの
お粗末すぎる仕事ぶりに愕然とし、
世界の報道を取り巻く事情を憂える記事を書いている。

一方、櫻井氏は現地を訪れることなど恐らく思いもよらず、
本人としては祖国を憂えるつもりになった記事を書いていらっしゃる。
テレビを見て感想を述べるのは櫻井さんじゃなくてもできるんだからさ、
広河さんを見習って取材した方がいいと思うよ。

人間の本当の姿というのは、いざというときになって初めて現れるもので、
普段偉そうな人が、極限状態では臆病だったり、
普段さえない人が、いざというとき頼りになったりする。
それから考えると、9・11というのはジャーナリストの本質を試す
格好の試金石だという気がする。
だって、9・11を境に世界は一変しちゃったんだし、
間違いなく、世界のジャーナリズムが危機に瀕しているんだから。

例えば、読売新聞は「空爆支持」、リベラルを自称する朝日新聞は
沈黙することで事実上の「黙認」した。
その中でも、日本では珍しいイスラエル寄りの論客である大高未貴氏は、
米国のアフガニスタン侵攻に関しては昂然と非難した。
彼女はちゃんとアフガニスタンを現地取材していて、
しかも強固な反タリバン論者でもありながらだ。(↓)

http://www.104.gr.jp/tanaka/miki/diary.cgi
参照:死の商人 01月18日(金)02時37分

■2002/03/11 (月) 抗う人々

「テロは許せないが、米国の報復攻撃にも反対だ」
と主張している「平和主義者」の方々は、
米国の言い分通り、「テロ」と「米軍事行動」の間に
何らかの客観的な関連性があると信じているのだろうか?
対立する両者双方を批判して、中立を保とうとでもいうのだろうか?
ケンカ両成敗とでもいうように。
事実は、「テロ」と米国が戦っているのではない。
米国はそう主張しており、「テロにも報復にも・・・」という言葉は
米国の嘘に騙されて踊る愚かさを表すまでだ。
「テロ」を行ったのは「アフガニスタン」でも「タリバン」でもない。
米国は「アル・カーイダ」がいるという理由で、
タリバンとアフガニスタンに対して戦争を仕掛けた。
「平和主義者」は、現在抵抗を続けている「タリバン=アル・カーイダ勢力」
の米軍への反撃にも「戦争反対」を叫ぶのか?
彼らが今やっていることは「テロ」の続きだとでもいうのか?
抵抗をやめて、全員素直に殺されよというのか?
抵抗しようとすまいと、実際米軍は敵の全滅を目指している。
彼らは叫べまい。
だから沈黙している。
現実に日本の「平和主義者」は、チェチェンでロシア軍に抵抗している
「イスラム武装勢力」には冷淡だ。
ロシアの支配下で無力化されたイングーシのチェチェン難民には、
支援(といっても精神的な)を惜しまないが、
難民の子どもたちが「イスラム聖戦士になって戦いたい」というと、
「子どもたちが平和を知らずに育つのは問題だ。教育が必要だ」
と眉根をひそめる。
しかし、そんな「平和主義者」の誰よりも、
この子どもたちは平和の意味をよく知っている。
日本の「平和主義者」の皆さんが彼らに教えてあげられる平和なんてない。
「平和主義者」の皆さんの方が、彼らから学ぶべきなのだ。
平和を真剣に希求するからこそ、彼らはいくら勝ち目のない情況下でも、
いくら死ぬのが恐ろしくても、抵抗をやめない。
抵抗をやめても、なんの解決にもならないどころか、
最後の人間性まで奪われてしまい、未来永劫に平和を手にできなくなることを、
彼らはよく知っている。
だから、和平交渉を要求し続けながら、絶望的な抵抗を続けているのだ。
戦わない人たちはいつも、戦う人たちを嘲笑う。
彼らは最前線で死の恐怖に震える米兵やロシア兵よりもさらに
抵抗者たちから遠いところにいる。

■2002/03/04 (月) 知る義務

「俺たちには、知る権利ではなく、知る義務がある」
と、久保田弘信さんはいった。
平和出版のオフィスで、写真家の久保田さんは編集の三島さんと一緒に、
アフガニスタンの写真集の編集作業をしていた。
テーブルの上には小さなポジフィルムがあり、
瀕死の弟を抱えた幼い姉の姿が写っている。
夥しいポジに写っているのは全て、アフガニスタンの子どもたちだ。
久保田さんはこの5年間、ひたすらこの子たちの姿を追ってきた。

そうなのだ。
アフガニスタンで起こっていることに関して、
私たちは人道主義の観点から援助をするべきなのではない。
私たちの中の誰一人、人道を語る資格はない。
現在続けていることを即刻停止し、
謝罪し、賠償し続ける責任があるだけだ。

大量殺戮は、米軍が始めたわけではない。
ずっと前の99年から国連が始めていた。
経済制裁という名目で、この世界最貧国に意図的に飢餓を引き起こし、
数千の子どもたちを組織的に凍死・餓死させた。
経済制裁を科せばそうなることを予測した上で、
それを制裁効果として期待して、
国連という組織の決定として行ったのだから、
組織的無差別大量殺戮(ジェノサイド)以外の何ものでもない。
同じことは現在イラクでも行われている。
米軍は私たちがやってきたことを踏まえて、世界市民の総意に従って、
それを今度は経済的にではなく、軍事的になぞり、
安心して殺戮事業の総仕上げをやっているところだ。
殺人者はニューヨーク9・11事件首謀者であったり、タリバンであったり、
北部同盟であったり、ブッシュであったり、米軍であったりする以前に、
私たちだ。

「知らなかったことは罪ではない」と主張する人もいるだろうが、
日本人は基本的に、努力さえすればアフガニスタンでのことを
知りうる立場にあった。
知っていた人たちの中で、この事態をくいとめるべきだと考えていた人たちは、
私もあなたも含めて、全員が惨めに敗北し、殺人者の軍門に降ったのだ。

私たちは今すぐに私たちが犯してきたことを知り、
殺人者であることをやめ、個人の責任として殺人実行者を裁き、
処罰することで、罪を精算しなければならない。
その上で、被害を受けた子どもたちに償ってゆかねばならない。
こういうと私は論理上、ブッシュや米軍に死刑を宣告することになり、
彼らへの攻撃を肯定することになるが、それで上等だ。

■2002/02/21 (木) 速報:赤飯テロ

私のことをテロリズム容認派だとかいう人がいるが、
私はあらゆるテロに断固反対だ。
実はたった今、卑劣極まりない無差別テロに遭った。
これからギャルと映画の試写会を見に行くので、
気合いを入れて、着るものを洗濯しようと、コインランドリーに出掛けた。
30分経って、洗濯済みの衣類を取り込みにランドリーへ戻ると、
私の大事な一張羅は洗濯機の中で小豆と米粒にまみれていた。
私が離れている隙に、何者かが洗濯槽に余り物の赤飯を投げ込んだのだった。
テロだ!!!
いや、しかし無差別ではなく、狙われていたのかも知れない。
私がランドリーに行くことを予測して、
一週間前から張り込んでいたのに違いない。
そして、私がランドリールームを離れたわずか数十分間に、
用意した赤飯を誰にも見られずに洗濯槽に投入したのだ。
実に鮮やかで周到な、手の込んだ手口といわねばならない。
それにしても、赤飯が凶器というのは前代未聞だ。
こちらの想定を遙かに超越していて、
危機管理対策の立てようがないところをつけいられた形だ。
犯人は実に狡猾といわねばならない。
ひょっとすると、赤飯にはなにか政治的なメッセージが?
恨みによる反抗、政治的行動の線から犯行動機を突き止めてゆく必要があるが、
仮に恨みによる犯行だとして、私に恨みを持っているものといえば・・・・・・
どろどろになった勝負ぱんつを握りしめながら、
我が脳裏をギャルの顔が浮かんでは消えていった。

■2002/02/05 (火) 自由の意味

米国人タリバン義勇兵(『イスラム聖戦士』とは書かない)
ジョン・ウォーカー氏が明日、米連邦地裁に出廷する。
彼は今日、「米国民殺害の共謀」「アルカイダのため任務についた」など
10の罪で起訴された。
彼に関して、News Week誌は去年、「なぜ平凡な若者は自由を憎んだのか?」
という見出しを付けていた。
何という不幸だろう。
米国市民がいかに自由の意味、命の意味を知らずに来てしまったかが分かる
象徴的な事実だ。
彼らが自由の本当の意味を知るとき、
善くも悪しくもウォーカー氏に続く若者が現れるだろう。
インシャーアッラー・・・

しかたがないなあ。
教えてあげよう。
自由は米国にはない。
東長崎にあるのだ。
ムフー♪

■2002/02/01 (金) 丸見え公安くん

金曜日の代々木上原東京ジャーミィ―――
イラク大使が礼拝に訪れていた。
一緒に来ていた日本人イスラム聖戦士ハワジにいわれて気づいたのだが、
灰色のスーツを着た日本人が二人、
カメラを首から提げてモスク敷地内をうろついている。
モスレムらしい服装の礼拝者たちの中で、滑稽なほど完全に浮いている。
友人の一人が教えてくれた。
公安警察官だ。
9.11以来、公安は東京ジャーミィに通っては、初めパキスタン人礼拝者を、
続いてインドネシア人、マレーシア人礼拝者を強く監視しているという。
彼らは集団礼拝中に礼拝所内まで入ってきてじっと見ているそうだ。
もちろん、礼拝中は神聖な時間であり、礼拝所内は神聖な場所だ。
東京ジャーミィでは礼拝者以外の立ち入りについて、
見学は認めているが、監視活動を認めているとは聞いていない。
礼拝所の外でも出入りはチェックできるはずなのだ。
モスレムたちは不満を募らせている。
あるパキスタン人の友人はいった。
「私たちの国の人権感覚は低いという。
だが、パキスタン警察でさえ、国内の少数派ヒンドゥー教徒監視のために、
逮捕状や捜査令状もなく、ヒンドゥー教寺院の中まで入ってきたりはしない。
それは冒涜行為にあたり、ヒンドゥー教徒の心を傷つけると分かっているからだ。
日本の公安警察にはモスレムに対して、
信仰心を尊重しようという誠意のかけらも見えない」

■2002/01/31 (木) 偉大なる櫻井よしこ氏の偉大なる記事


薬害エイズ安部英に名誉毀損で訴えられた裁判で請求棄却判決を受け、
勝訴した櫻井よしこ氏は、なにをトチ狂ったのか、もとい賢明にも、
チェチェン戦争に関しても書いている。

週刊ダイヤモンド2001年12月22日号 
オピニオン縦横無尽 426
「対テロ対策外交でのプーチンロシア大統領の見事な手腕」
http://www.yoshiko-sakurai.net/works/works_diamond_011222.html

桜井氏によると、ブッシュくんのアフガニスタン空爆に対するロシアの協力は
「ロシアの抱えていたチェチェン族との内戦に終末をもたらした」のだそうだ。
すごい新事実だ。

いやはや、ロシア、日本他いくつかの地域を除く
小学生以上の常識ある世界市民が知っていることとして、
チェチェン戦争は終わっていないものと思っていた。

また、「米英軍によるタリバン攻撃が始まるとまもなく、チェチェン族の側から
ロシア政府に和平の申入れがあった」のだそうだ。
不思議だ。
私の知る限り、チェチェン政府は99年の二次戦争開始直後から再三、
ロシア側に交渉を申し入れている。
これに対してプーチンくんは開戦から2年近く経った2000年9月に、
マスハドフと話し合いを持つ意志を明らかにし、
その一年後、代理人による交渉を持った。
米英軍によるタリバン攻撃のタイミングとどんな関わりがあるのだろう。

さらに、チェチェン人が「和平の申し入れ」をしてきた理由は、
「タリバンの力が弱まり、武器弾薬、資金、人材の援助が途絶えたから」だそうだ。
櫻井氏はどこからこんな超極秘情報を入手されたのだろう?
私が自分の目で見る限り、チェチェン人にはアフガニスタンの
タリバンどころでなく豊富な武器弾薬、資金が溢れていた。
戦闘ではロシア側が敗走を続けていた。

櫻井氏によると、NATOは「新たなる加盟国としてロシアを視つめ始めた」のだそうだ。
そして、「この劇的な変化でロシアの国益がどれほど増進したか。
プーチンの一連の動きは秀れた外交の一例である」と
プーチンくんを褒め称えて結んでいる。

ううむ、すごい。
さすがは櫻井氏の取材力だ。
私は空想の中でさえそんなこと考えつかなかった。
きっと彼女は最終解脱者に違いない。
だからこそもう一人の最終解脱者グレート麻原尊師を倒せたのだ。

チェチェン人は安部英と違って名誉毀損で訴えてきたりしないだろうから、
安心ですね、櫻井さん♪
でも新聞は読んだ方がいいと思うよ。

■2002/01/30 (水) 技術革新の恩恵

技術の発展は集中する資本を広げるのだそうだが、
インターネットの普及は集中する情報をやはり広げる。
マスメディアによる情報発信の独占状態を崩壊させ、
全ての利用者を個人メディアにする・・・・

な〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んてのは、
ウソでした。

インターネットがなかった頃、僕らは新聞を全紙読んで、
あるいは図書館にこもって、なんとか必要な情報を
一つ一つ探し出したような気がする。
だったら、コンピューターのディスプレイ上で全紙を一度に読める現代、
学生がニュースを最低限知っているかというと、見渡す限り、
まあ厨房の巣なのであった。
学者先生方の論文を検索して探し出せる現代、
市民が全て知識人になったかというと、
米国を見ても日本を見ても、国家の愚民化政策はものの見事に功を奏して、
小泉くんもブッシュくんも支持率摩天楼状態でうっはうはなのね。

チェチェン人やタリバンを取材していて、彼らのあまりの教育水準の低さや、
情報から隔絶された状況に呆れかえったものだが、
帰国してみると祖国同胞も同じか、ひょっとすると、いや確実に、
それ以上にアタマの中身が単純であることに気づき、空恐ろしい気持ちになる。

技術の発展は、資本や情報の利用「機会」を広げるだけなのですね。
能力に応じた平等というヤツかな。

■2002/01/22 (火) 永久調和

米国の政策を云々するまでもなく、
世界に正義なんかないし、人権も自由も全くない。
ほんとうの平安と永久の調和は、アッラーの元にだけ存在する。
イスラムでは、人生はアッラーが与えたもうた永遠の試練だ。
だから人間は地上で苦しみ続け、悲しみ続けなければならない。
人間を動かすエネルギーの中で一番強いのは、悲しみのエネルギーだ。
世界は人類の苦痛の呻き声を原動力に回っている。

チェチェンのイスラム聖戦士たちは夜ごとに論じ合っていた。
私にも論争をふっかけてくるので、応じざるを得なかった。
私たちの意見はあちらこちらへ行ったり来たりしながら、
毎晩少しずつ、ある種の方向性に近づこうとしていた。

それは、ペシミズムでもニヒリズムでもなく、希望だった。
私たちが苦しみ続け、悲しみ続けていたことは
既に誰の目にも明らかだったから。
私たちにとって、いつか苦しみが報われ、
永久の調和が訪れるという事実は、今の苦しみに耐える力になった。

8月末日の深夜、私たち400人の部隊は、
大カフカスの2800メートルの峠を越えて、アブハジア領に侵攻した。
聞いていた話では、雪が降り始める前に、山を越えるということだった。
それなのに、山頂付近で雪が横殴りに吹きつけ始めた。
それ以前からの雨で、私たちはぐっしょりと濡れそぼっていたのに、
その水さえ、服ごと凍りつき始めた。
道は凍らなかった。
氷混じりの重い泥の川となって、私たちの長靴を捕まえて放してくれなかった。
バックパックの30キロの装備は水を吸って、数キロ分上乗せされていた。
私には防寒着もレインコートもなく、
秋用の薄いジャケットを一枚羽織っているだけだった。

山頂を越えて、泥に膝まで埋もれながら、何度目か転倒したとき、
私は力尽きて、立ち上がれなくなった。
泥から体を引きはがせなかった。
そのとき、一人のトルコ人聖戦士が、
恐ろしい力で私の腕をつかみ、私の体を泥から引き抜いた。

「フィルダウスを想え」

戦士は英語でそういった。
フィルダウスとは、殉教した聖戦士が行くという、最上天にある楽園だ。
その瞬間、私は自分の体でイスラムを理解したように思った。

■2002/01/18 (金) アル・カーイダの葬儀

今日発売の講談社フライデーに、
去年の3月に新宿でお会いした写真家・久保田弘信さんの
アフガニスタンの写真が掲載されている。
カンダハルの病院に立て籠もって戦死したアル・カーイダの
集団葬儀の情景の写真だ。

アル・カーイダの死体に掛けられた白い布が、画面の奥までずらりと並ぶ。
その周囲にカンダハルのごく普通の市民たちが集まり、
手をかざして死者の冥福を神に祈っている。

久保田さんは年末からカンダハルで粘り続け、
抵抗を続けるアル・カーイダを最後まで見守った。

一昨年、アフガニスタン・バーミヤン大仏の破壊に世界が注目し、
タリバンにヒステリックな非難の雄叫びを挙げていいた頃、
久保田さんはひとり地道に難民キャンプに通い、
飢えて死に瀕する子どもたちの写真を撮り続けていた。

パキスタン人ジャーナリストのムハンマド・ズベルさんと話して
改めて思ったことだ。
これほど話題の中心となったアフガニスタン戦争だが、
この間、タリバン支配地域を取材したジャーナリストは
ズベルさん以外にほとんどいなかった。
多くがタリバンやアル・カーイダの姿を一度も見たこともないまま、
それらを批判する報道を繰り返していた。
米軍などの「大本営発表」の垂れ流しだ。
人間のカスどもだ。
そういうカスどものやり方を、若手のフリーまでが信じ込んで、
「タリバン支配地域の取材はできませんよ」
などと見てきたように吹聴する。

久保田さんは今回、タリバン支配地域の取材にこだわった。
米軍が戦争の理由としたのは、タリバン支配地域の事情
(ビン・ラーディン氏を匿っている、テロ支援施設がある、etc)
によるということになっているのだから、
それは取材者として当然なことのはずだ。
しかし実際、最低水準をクリアするジャーナリストは
なぜこれほど少ないのだろう。

久保田さんの被写体に対するまなざしは、
限りなく優しく、哀しい。
ジャーナリストとしての職業意識というよりも、
彼は自分の人間性に従って行動した結果、
意識することなく、ジャーナリストとしても優れた取材が
できているように見える。

私も負けないようにがんばんなきゃ。

久保田さんがネット上に公開している作品集
http://hp.vector.co.jp/authors/VA022257/faireal/Afghanistan/
去年3月、久保田さんに会ったときの日記
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=200103

■2002/01/13 (日) 理解不能という理解

ベルナルド・ベルトリッチというイタリアの映画監督は、
映画ラスト・エンペラーの中で中国を「神秘の国」として描いた。
冒頭、皇帝となる溥儀が西大后の死に立ち会う場面で、
彼女は城の中にいながら霧に包まれ、妖しげな言葉を残して息絶えるが否や、
口には魔除けなのか珠がはめ込まれる。
その描かれ方は、史実というよりはまさに現実離れした怪物だ。
そしてラストシーン、老人となった溥儀は
紫禁城の玉座の陰から、少年時代に隠した虫籠を取り出す。
虫籠の中のカマドウマは時空を超えて生きていた。

私たちはもちろん、中国が実際にはそんな幻想世界でないことを知っている。
しかし、映画のそのシーンを見て、「そんな中国の見方は間違っている!」
と異議を唱えようとは思わない。
私たちは映画を見て、ベルトリッチが中国を
神秘の国と誤解して描いたとは思わない。
それは全て了解の上で描かれた幻想世界だ。
ベルトリッチはいわば、欧米人の目に映る、
中国の神秘的な側面を意識的に拡大し、具象化した。
彼の姿勢は、「私たちには本質的には東洋を理解できない」と認め、
理解できないことを前提としている。
理解できないからこそ、神秘的に見える。
その上で彼は、あくまで欧米の視点での中国像を描き出したのであった。
その作業は中国に文化的ギャップを感じない東洋人には
不可能なものであっただろう。

学生時代、卒論のテーマに「イスラム」を選んだ私は、
フィールドワーク等を進めるにつれて、
ベルトリッチのラスト・エンペラーを思いだしていた。
私が辿り着いた心境も同じようなものだった。
日本人には決して、本質的な意味でイスラムを理解することはできない。
分析を重ねて理屈の上で分かったとしても、
モスレムがイスラムを信仰する心情に私たち自身を投影して、
エモーションを追体験することはできない。
私たちが背負ってきた歴史、文化、環境と彼らのそれとの間に
共有できるものがあまりに少ないせいだ。

ベルトリッチが中国を理解できないという前提に立って初めて、
中国を表現できたように、
日本人はイスラムを理解する機会を初めから失った民族として
イスラムと対面しなければならないし、
理解しているという思い込みを避けなければならない。

日本人がイスラムを理解する方法はただ一つ、それはイスラムに帰依することだ。
もちろん、この場合の理解は宗教学や文化人類学などの立場から
アプローチする理解とは異なる。
絵に描いた餅は食べられないが、
自分自身が餅になってしまったらやはり餅の味は分からないのだ。

モスレムになったからといって、
日本人がアラブやペルシア、テュルクの歴史や環境を
共有できるようになるわけではない。
日本人モスレムはあくまで日本人であり、
アラブやペルシアのモスレムとは基本的なエモーションのパターンが異なる。

しかし、自らがモスレムになることで、
日本人の非モスレムには永久に理解不能であった
唯一神に対する心情、世界に対するスタンス、
異教徒に対する心情は分かるようになる。

また、欧米的価値観や日本独自の価値観を基準とする考え方から自由になれる。
たとえば、既に日本のメディアのほとんどが
一般的に使うようになってしまった「イスラム原理主義」という概念・・・・

この語はアメリカのメディアが元々あった「キリスト教原理主義」という語に
イスラムを当てはめて作った造語だが、定義に自己矛盾を含んでおり、
誤った用法であることは、私たちモスレムには容易く理解できる。
モスレムの文脈からこの語を考えると、
イスラムはそれ自体が原理主義であると考えるか、
あるいはイスラムには原理主義が存在しないと考えざるをえない。

自分たちの信仰する宗教の教義に沿って生活することは
聖俗一致のイスラムでは当たり前のことだが、
現代のキリスト教徒や仏教徒の大多数の立場からみると、
彼らの常識からかけ離れたスタンスとなる。

私たちモスレムの立場から考えると、
教義そのものに無理があるから、キリスト教徒や仏教徒は
世俗生活と宗教生活の間に軋轢が生じやすく、
忠実に教義に沿った生活を送ることが難しいし、
無理をしても教義に忠実であろうとする人たちが、世俗社会に不適用をきたして、
「原理主義者」という名の特殊な立場に分類されてしまう、ということになる。

欧米の立場でいう「原理主義者」の今最も人気者といったら、
なんといってもウサマ・ビン・ラディン氏であろうが、
では、彼をモスレムの立場から表現すると、どうなるかというと、
つまり彼が考えるイスラムとはそのようなものであったということだ。

イスラム社会は多様であり、トルコからサウジアラビアまで、
イスラムに対する解釈は千差万別だ。
酒を飲むトルコのモスレムが考えるイスラムの姿とはそのようなものであり、
ビン・ラディン氏の考えるイスラムの姿とは異なっている。
どちらがより真実にイスラム的であるかということは、
神ならぬ私たちにはいうことができない。

自分が信じているように生きてゆくのが原理主義者なのだから、
ビン・ラディン氏が原理主義者であるとすると、
酒を飲み、礼拝や断食を守らないモスレムが
また別の原理主義者であってもなんの矛盾もないし、
逆に原理主義者でないモスレムとは何者なのかという疑問が出てくるだけだ。
ぜんたい、アラビア語、トルコ語、ペルシア語に、
「原理主義」の訳語は今でも存在しない。

「原理主義」という概念はむしろ、宗教生活に破綻した欧米社会の
矛盾から生まれた語であり、「宗教は必ず世俗生活と対立する」と思いこんで、
分かったつもりになった、欧米人の偏狭な心を体現した語といえよう。

まあ、これは理屈の話、少しの冷静さと客観性があれば
非モスレムにも理解可能な範囲の説明だ。

キリスト教社会の聖と俗の軋轢の歴史はイスラムには共有されておらず、
イスラムにはまた別の聖と俗の関係の歴史がある。
その歴史が、イスラム社会とモスレムのメンタリティをどう形作ってきたかは、
研究者によって理論的に説明できるだろうが、
非モスレムが自分のものとすることは永久にできない。

イスラムに帰依する意志のない非モスレムは、
イスラムを分かったつもりになるべきではない。
あなたには永久に辿り着けない境地がある。

中国人の目に、中国は少しも神秘の世界ではないが、
ベルトリッチが中国を神秘的に描いたのを見て初めて
東洋人たる私たちは中国の欧米とは違うある一面に気づいた。
ベルトリッチがそうしたように、理解できないという前提に立つことで、
むしろモスレムにも見えていないイスラムの側面が見えてくるはずだ。
非モスレムの皆さんに、そんなアプローチを期待したい。

■2002/01/11 (金) ただ一人のジャーナリスト

天才写真家村田信一さんのパレスチナの写真が、
今日発売の講談社フライデーに掲載されている。
パレスチナ自治警察と、イスラム組織「イスラム聖戦」の銃撃戦を
飛びかう銃弾の中で撮った力作だ。
この凄惨な場面がアラファト最後の日々を象徴し、
パレスチナがニセモノでないジハードの舞台になるのなら、
私も再び現地へ行こうと思った。

モスク・東京ジャーミィの集団礼拝で、その村田さんと会った。
村田さんは、礼拝に来ていた在日パキスタン人ジャーナリスト・
ムハンマド・ズベルさんを紹介してくださった。
ズベルさんは2歳の長男ウサマくんを連れてきていた。
礼拝の後、新宿へ移動して、サムラートというインド料理店で
昼食を四人ご一緒した。

ズベルさんは、今回の米軍によるアフガニスタン侵攻で、
恐らくただ一人、タリバン側から伝え続けた。
あれほど連日アフガニスタン報道一色で、
タリバンの非人道的な政策などを喚き立てていた日本のメディアは、
その実、この間彼以外誰一人としてタリバンを見もしなかったのだ。

見ていない、事実を確認していないものを批判するのは
報道の立場として明確におかしいのではないかと思うのだが、
今回のアフガニスタンではタリバンとビン・ラーディン氏を、
一昨年はチェチェン・イスラム勢力を、
やはり大手メディアの誰一人として取材しないまま、
現地の「強い方の」政府の発表を垂れ流し、ときには誇張さえして、
プロパガンダ、あるいはデマゴーグの役割を果たし続けた。

99年にタリバンを取材した私は、実はタリバンに関する
ズベルさんの主張には賛成できない。
私はズベルさんと違って、タリバンの政策を微塵も肯定できない。
しかし、タリバンを取材しなかった、あるいは能力及ばず取材できなかった、
日本のどんなジャーナリストよりも、
ズベルさんの方がタリバンの実情を良く理解していることを認めるし、
実際に伝えたリポートの中身も勝っていると感じる。

いつものことだが、最低限、水準に達した仕事をするジャーナリストは
あまりにも少数で、ちゃんちゃらおかしい問題外の連中の声だけが大きい。

■2002/01/11 (金) 蜘蛛の糸

活動を停止した筋肉少女帯の名曲「蜘蛛の糸」を聞くと、
ボーカル・作詞の大槻ケンヂ氏は現代の社会不安を
良く理解してるなあと感心する。
1月5日、米フロリダ州タンパ市でセスナ機を操縦し、
高層ビルに激突死した15歳の少年が、私には、この歌の中に出てくる
「友だちはいないから、ノートに痩せた子猫の絵を描く少年」
とダブって見えて仕方がない。
今日発売の講談社フライデー74ページの記事によると、
少年は生前、「(テロ事件の)犯人が、どれほど深く絶望していたかが
僕にはわかる」と語っていたという。
少年はシリア人の血を受け継いでいるということだが、
名前もクリスチャンネームだし、モスレムだったという話は
出てきていないと思う。
にもかかわらず、「ビン・ラーディン氏への同情が動機」
(フロリダ州警察当局)で事件を起こしたのは、
単に、炎上する世界貿易センタービルを見て喝采した
世界中のモスレム市民の思いに共鳴しただけとは思えない。

恐らく彼は、紛争地で日常に極限を抱える子どもたちと、
先進国のビルの谷間で日常の闇に極限を見てしまう子どもたちの
間を繋ぐミッシング・リングだ。

「いつの日か蜘蛛の糸を登って、火をつけて、燃やし尽くしてやる」
という歌の中の少年、
元ギャングだったが、信仰に目覚め、
ブラックモスレム団(Nation of Islam)の革命家となり、
アフリカ系アメリカ人の解放に命を捧げたマルコムX、
チェチェン人とともに闘う日本人イスラム聖戦士ハワジ、
炎上する世界貿易センタービルを見て喝采したイスラム世界の市民、
今もオウム真理教(アレフと改称)の幹部を務めている友人、
引き籠もり、不登校、鬱、アダルトチルドレン、エトセトラ・・・・
そして、私自身・・・・・・
社会的にネガティヴに現れるか、ポジティヴに現れるかの差こそあれ、
それぞれ、セスナ機の形をした蜘蛛の糸を伝って、
どこかへ上りつめようとした少年と、少しずつ重なり合う部分がある。



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