崩れ落ちるダメ人間――The Chiken Reports(常岡浩介)より 崩れ落ちるダメ人間

■1999/07/24 (土) エチオピアのダメ人間

「全く困った男だ」

警察署長ハヤロムは、私を事務所の入り口に座らせると、隣の交通官ソロモンの方へ顎をしゃくった。エティオピア北部ティグレ州のマイチョウで、私はアジスアベバ行きのバスからひきずり降ろされ、ハヤロムの前に引き立てられたところだった。

一九九九年七月、私はエティオピア・エリトリア国境紛争を取材しようと、エティオピアのティグレ州を訪ねていた。前の年の五月、独立後わずか五年しか経っていなかったエリトリアは、イタリアの植民地時代に引かれた国境線の確定をめぐって、当時エティオピア政府が事実上領有していた国境の村バドマに侵攻し、両国の間に戦争が始まった。それから一年余りの間に両国の死者は数万人に上ったらしい。が、実際は良く分からない。

どんな戦争が続いているのか、誰も見たものがなかった。両国とも、「敵兵を10万人殺した」と発表している。三十年続いたエリトリア独立戦争の死者でさえも、65000人にとどまるというのに。日本ではこの一年の間に二度か三度、国際面の新聞記事で伝わっただけだ。ここに戦争があること自体、どれほどの人が知っているだろう。

「誰も知らないことなら私が伝えよう」と、意気込んで激戦地バドマを目指したものの、入国後1週間にしてバドマの手前の観光地アクスムであっさりと警察に拘束され、パスポートを押収されたまま軟禁生活が続いていた。アクスムからティグレ州の州都マカレへ送られ、尋問また尋問。ホテルの滞在は許されるものの、始終警察官の監視を受けていた。

そして今朝、マカレから首都のアジスアベバにローカルバスで押送される間に、私は警察官がいなくなったものと勘違いして、ローカルバスの窓からトレーラーに載せられて運ばれてゆく戦車の車列をポケットカメラにおさめ、たちまちにして人民情報局(PI)と呼ばれるこの国の秘密警察らしい男に取り押さえられたところだった。

NATOのベオグラード空爆を取材した日本のジャーナリストの一人は、治安警察にフィルムを奪われそうになって、とっさに隠し持っていたダミーのフィルムを撮影済みフィルムとすりかえて切り抜けたそうだ。

フィルムを要求するPIに対して、私も当然ポケットに忍ばせていた空のフィルムと戦車が写ったフィルムをすりかえようと試みた。フィルムをカメラのキャビネットから出す際に、慌てた振りをして床に落とす。拾い上げた時にはダミーフィルムとすりかわっているという寸法だ。我ながら鮮やかな手並み。ところが…

「そっちじゃない。左手に持っている方だ」

PIは表情も変えずに、私の左手をこじ開けて、戦車が写ったフィルムと空のフィルムの二本ともを奪った。

そのフィルムと私のパスポートは今や、マイチョウの警察署長ハヤロムの手にある。彼は年の頃30代前半で、それで既に警察署長を勤めているところを見ると、優秀なのだろう。エティオピア人の中でもティグレ民族に特有の美男子で、背が高い。喋り方にはどことなく暖かみがあった。彼は既に、私に関する情報を州都マカレの警察本部に問い合わせて、ことの経緯を把握していた。

最初に私を捕らえたアクスムの警察は、私のパスポートにパキスタンのVISAが3つもあることを不審に思ったらしい。アクスムの警察署で私はパキスタンへ行った理由を何度も尋ねられた。そして、「パキスタンのスパイかもしれない男」として、続くマカレでもここマイチョウでも報告されていたようだ。

「なぜパキスタンへ行ったのかね?」

ハヤロムの尋問が始まる。

「アフガニスタンへ行くためです。日本からアフガニスタンへは直行便がないので」

「パキスタンで何をしてきた?」

「通過しただけです」

「パキスタンが戦争中であると知っていただろう」

「私が訪れたとき、カシミール問題はまだ深刻ではありませんでした」

ぜんたい、カシミール問題とエティオピア・エリトリア国境紛争を関連付けて考えるエティオピア人の思考パターンは理解し難い。私は街で市民と話しているときも、カシミール問題について何度か意見を求められた。彼らはパキスタン側のイスラム戦士がカシミールのインド支配地域に侵入した事件と、エリトリア軍がエティオピア支配下のバドマ地区に侵攻した今回の戦争を「同じようなこと」と考えているらしい。みな熱心にパキスタンを非難する。エリトリアのイサイアス大統領とパキスタンのナワズ・シャリフ首相が手を組んでエティオピアを破壊しようと企てている、といったら彼らは信じるだろう。

それにしても、エティオピア人はあらゆる意味でアフリカ人らしからぬ人々だ。ブラック・アフリカ、ホワイト・アフリカを問わず、アフリカの人々といえば、陽気で、歌や踊りが大好きで、いい加減で、くよくよと思い悩むことのない人々という印象があった。ところがエティオピア人はある意味ノリが悪い。酒場ではいつもガンガン音楽がかかっているのに、誰も踊ろうとしない。喋るでもなく、じっと虚空を見詰めてグラスを傾けている男たちばかり目に付く。誰もがやたらと細かいことにこだわる。私のパスポートのパキスタンのVISAにしてもしかり。ローカルバスの乗客は「冷たい風は体に悪い」とどんなに暑くても窓を開けないし、ぜんたい戦車の写真の1枚ぐらいいいじゃないか!?

そのかわりというべきか、とても真面目だ。市民との話題も社会問題になり易い。そしてアフリカで唯一、ここには汚職が見られないのだそうだ。確かに私を取り扱った警察官らは皆礼儀正しく、まどろっこしいほど真面目に仕事していた。マカレで取られた調書の質問の中には「あなたを調べた警察官の行動に不審な点はありませんでしたか?」というものまであった。汚職防止だろう。

しかし、その真面目さのせいで、私はとんだ面倒臭いことになってしまった。

「なぜパーミッションを取らずにティグレ州に来た?」

「州都でパーミッションが取れると思っていたからです」

これは嘘だった。パーミッションを取らなければエティオピアではジャーナリストの取材は認められない。といいながら現実には、情報省で前線取材を申請した外国のジャーナリストたちは首都アジスアベバで待たされたまま、一歩も動けずにそのまま帰国する羽目になっていた。パーミッションなんて取れはしないのだ。

この国では国営放送のトップが情報省のスポークスパーソンを兼ねている。役人は当たり前のようにプロパガンダという言葉を使う。91年にメンギストゥの独裁政権を倒し、この国は民主化したといわれていた。確かに民営の新聞も発行されるようになり、民営テレビ局も法律上は許されるようになった。しかし、実体としては報道の自由というほどのものはないに近い。全ては情報省の統制下にある。

今回のエリトリアとの国境紛争にしても、軍事的に優位に立つエリトリアから一方的に侵攻されて、夥しい市民と兵士を殺害されているのだから、エティオピアは堂々と国際社会に自国の立場と現状を訴えればいいのだ。エリトリアの情報省がどんどんジャーナリストを受け入れて、トップがテレビにも出演し、最前線の映像も世界に流れているのに対して、エティオピアからは何一つ情報が出ない。実際にはエリトリアには新聞発行の自由もないし、最近では大統領が閣僚をどんどん更迭して独裁化の傾向が認められるのだけれど、一見エリトリアの方が自由な国でエティオピアは鉄のカーテンに閉ざされた悪の帝国のような印象を与えてしまう。その上、秘密警察PIの存在だ。

エティオピア人は自分で自分の首を絞めている。要領が悪いに違いない。

しかし、エティオピア人の処世術が下手くそだからといって、両国の紛争を取材しようというジャーナリストが、プロパガンダに乗っかって彼らに都合のいい情報だけを取材するというわけにはゆかない。或いはエリトリア側が取材し易いからといって、当事者の一方だけを取材するわけにもゆかない。そういうわけだから、私は観光旅行者になりすまして、パーミッションなしで近づけるところまでエティオピア側から戦闘地域に近づこうとしたのだった。

ハヤロムの尋問が続く。

「パーミッションなしでアクスムへ行ったのはなぜかね?」

「州都マカレでパーミッションが取れなかったのですが、私は観光VISAを持っていました。有効期限が残っていたので、取材のためではなく、観光旅行者としてアクスムを訪ねたのです」

「観光であれ、取材であれ、外国を訪問するときは街ごとのパーミッションが必要だろう?アメリカでもそうだし、日本でもそうじゃないか!」

これには面食らってしまった。

「いいえ。日本でも、大抵の国でも、必要ありませんよ」

「戦車を撮影したのはなぜか?」

「窓から見て、興味深いと思ったからです」

「軍事施設と商業銀行は撮影禁止だ。そんなことは国際法で決まっているだろう!」

「国際法?日本でもアフガニスタンでも戦車の撮影は問題ありませんよ」

「そういう事をいうもんじゃない」

ハヤロムはますます困った顔をした。聞き分けのない子供を見るような顔だ。

「君は違法にティグレ州に入り、違法にアクスムを訪ねたのだ。その上、違法に戦車を撮影した。いったい君のセキュリティという問題に対する認識はどうなっているんだ?こういう事件をしでかしたことに対して、どう考えているんだ?申し訳ないという気はないのか?」

すぐにハヤロムが謝罪を要求しているということが分かった。

「ごめんなさい」

この一週間で謝るのは何回目だろう。学生時代にアルジェリアで治安警察に捕まったときは、向こうが謝ってきた。

「せっかく我が国を訪問してくれた君にこんな不自由な思いをさせてまことに申し訳ない。が、理解して欲しい。今は非常事態なのだ」

イランでも、イラクでも、現地の警察や軍隊の取り調べを受けたことはあったが、謝罪をさせられたことはなかった。必ず向こうが訪問者に対する非礼を詫びるのだ。

しかし、エティオピアではこちらが謝罪を要求される。アクスムでも、マカレでも、私は何度も謝った。こちらが謝らなければ、いつまでも座らされている。マカレの警察本部では調書にまで「ごめんなさい」と書かされた。

私は違法は承知の上で必要と判断した取材を敢えてしたに過ぎないのだから、後ろめたさを感じる必要はないはずだ。いわば確信犯だ。だが、「ごめんなさい」を繰り返しているうちに、自分が本当に問題児であるという気がしてきた。手に負えない生徒を持て余すようなハヤロムの視線が痛くなってきた。良心の囚人なんてものとは程遠い心境だった。

ハヤロムは私の尋問を終えると、その後の手続きを説明した。彼らは私をあらためてアジスアベバへ押送するため、交通機関を手配する。恐らく、明日マイチョウを通過するマカレ発アジスアベバ行きのバスを停めて、私の席を確保することになるだろう。それまでの一晩、私はマイチョウで過ごさなくてはならない。街を歩いてもいいが、遠くへ行ってはならない。

彼は私をホテルへ案内した。10ブル(8ブル=1US$)という安さだが、清潔な毛布のついた明るいダブルベッドの部屋だ。それから、近くのレストランへ連れて行き、山羊の肉の炒め物とインジェラ(テフという穀物の粉を発酵させて焼いた酸味のあるクレープ状の食物。エティオピアの主食)の昼食をご馳走してくれた。

一方私はすっかりしょげきっていた。取材は完全に失敗したのだ。押収されたフィルムには、戦車だけでなく、アクスムの街に集結していた民兵集団の写真などもあったはずだ。

ハヤロムは食事を続ける私を凝視しながらいった。

「アジスアベバに着いたらどうする?」

「また前線へ向かいます」

「君はパーミッションを持っていない。それは無理だ」

「何とか、方法を探します」

「なぜ前線へ行きたい?」

「日本では誰もこんな戦争があることすら知らないからです」

私はやや自暴自棄になっていた。取材に失敗した悔しさをハヤロムにぶつけようとした。

「エティオピアほどジャーナリストにとって不自由な国はありませんよ。パーミッションなんて、誰も取れはしないんだ」

「現場の安全が確保されれば、パーミッションは出るはずだ。出ないとすれば君たちの身の危険を考えてのことだ」

「ジャーナリストは必要なときは前線に行かなくちゃいけないんですよ。誰かのパーミットがあるなしに関わらず」

これはまずかったかもしれない。ハヤロムの顔が強張った。彼の怒りが伝わった。

「パーミッションがなければ、前線にはいけない」

それだけいって、ハヤロムは席を立った。

ホテルのベッドの中で、私は恐れていた。さっきの言動が元で、私は本格的に監禁されたりはしないか。私はパキスタンのスパイかもしれない男でもあるのだ。

■1999/07/25 (日) エチオピアのダメ人間

しかし、朝8時半に私を起こしに来たハヤロムは何事もなかったような顔をしていた。私たちは広場に面したブンナベット(カフェ)で、香りのいいコーヒーを飲みながらバスを待った。ブンナベットのスピーカーからは、エティオピアの人気女性歌手ジジ・ガイヤイの歌が流れていた。エティオピアにいる間、私は毎日のように彼女の歌を聴いて、すっかり気に入っていた。ハヤロムも彼女のファンだということが分かり、その話題で盛り上がった。それから、ハヤロムが日本の食べものことを聞いたので、私はエティオピア人が生の牛肉を好むように、日本人は生の魚が大好きなのだと説明した。

唐突に彼は私の目の前のテーブルに、私から奪った二本のフィルムを転がしていった。

「戦車が写っているのはどちらだ?私はそちらだけが必要だ」

「多分こっちです」

私はダミーフィルムの方を指した。

「間違いないか?」

「多分…」

「間違いがなければもう片方は君に返す」

「間違いない」と一言いえば、彼は戦車が写ったフィルムを私に返しただろう。彼は私が本当のことを言うとは夢にも思っていなかったに違いない。私に騙されてやろうというのだ。しかし、私には勇気がなかった。

「確信はありません」

ハヤロムはしばらく黙って私の目を見ていた。それから、「それではフィルムを返すことはできない」といって、私のフィルムを二本とも再びポケットに戻してしまった。

やがて、交通官ソロモンが現れて、アジスアベバ行きのバスが到着したことが分かった。立ちあがる前に、ハヤロムはポケットから私のパスポートを取り出した。

「これは君のものだ」

私は自分のパスポートを受け取りながら、事態を理解することができずにハヤロムの顔を見ていた。

私はアジスアベバに押送される途中である。ハヤロムの職務の原則では、私のパスポートは本来、私が間違いなくアジスアベバに着くまで、エティオピア当局の手に置かれなければならない。私が今自分のパスポートを受け取るということは、私は再び自由の身になって、ジャーナリストとしての私の信念に従って、エティオピア政府の方針に逆らって、実力でエティオピア・エリトリア国境紛争を取材するかもしれない。少なくとも昨日私が彼に噛み付いた話の通りなら、私はアジスアベバ行きのバスを途中下車して、ラリベラかどこかを経由して再び前線に向かわなければならないのだ。ハヤロムはそれを知った上で、私にパスポートを返したはずだ。私に対する同情から、彼は自分の職務を一部不適切に遂行することを選んだのだ。

満員のバスに押し込まれながら、私はハヤロムの顔つきを見極めようとした。しかし、彼の薄い髭を生やした黒い顔からは何も読み取れなかった。バスの中で私は揉みくちゃになって、ハヤロムと最後の握手を交わすことさえできなかった。

■1999/07/26 (月) エチオピアのダメ人間

そのまま、私はバスを降りなかった。カメラを取り出しもしないまま、翌日の夕方、アジスアベバのなじみの安宿へおとなしく戻り、フライトの都合でナイロビに戻った日まで、老いさらばえたかのようにぼんやりとエティオピアコーヒーを飲んで過したのだった。

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