2012年12月議会一般質問一部参考資料

 

文芸評論家山崎行太郎著書それでも私は小沢一郎を断固支持するより

1.  2.  3. 

1.

 

小沢は

今日の国際社会において、

もっとも卓越した手腕を持つ

政治家のひとりである。

 

ヨーロッパには

彼に比肩し得るリーダーは存在しない。

政治的手腕において、
そして権力というダイナミクスをよく理解している

という点で、

アメリカのオバマ大統領は

小沢には及ばない。
           (カレル・ヴァン・ウォルフレン

日本政冶再生を巡る権力闘争の謎」)
 

マスコミが操作するイメージ
  この二つの小沢一郎論を読んで、

「なるほど」と納得する人は

少ないかもしれない。
余りにも、

マスコミを中心にでき上がっている

「悪」、「壊し屋」、「金権政治家」、「悪 党」―

という「小沢一郎像」と

かけ離れているからである。

要するに、

普通の読者は、
今まで聞いたり読んだりしてきたものと、

あまりにも違うので驚くに違いない。

なにせ
「戦後日本の政治史上まことに驚くべき」

とか

「小沢一郎がオバマより偉い」

「世界中にも小沢一郎を超える政治家はいない」

である。

むろん私は、

この二人の「小沢一郎論」を、

素朴にそのまま受け取り、

全面的に信用しているわけではない。

私は、

こういう「小沢一郎論」もある、

ということをまず読者の多くに知っていただきたい

だけである。

「小沢一郎は悪党だ」と思っている読者は、

もうここで、本書を読むのをやめるかもしれない。

しかし、

もう一度じっくり考えてもらいたい。

そもそも、

「小沢一郎は悪党だ」と誰が決めたのか。

われわれが、

「小沢一郎は悪党だ」と判断するとき、

何を根拠にしてそう判断しているのか。
 われわれは、「テレビ」や「新聞」という巨大マスコミの報道を、つまりマスコミと いう「眼鏡」と「目線」を通して

政治家や文化人、芸能人を見て、そして判断する。

あるいは関係者たちの証言や噂話を通じて、

その人物を品定めし、

判断する。

要するに、
他人の価値尺度を通して

判断しているのだ。

われわれは、

なんの先入観もなしに、直接、 
その人物を知ることも、

接することもできない。

例外を認めたとしても、

ほぼそれが普通であろう。

その時、もし、

テレビや新聞の報道に

「間違い」

があったら、

あるいは意図的な「捏造」が

あったとすれば、

いったい、どうなるか。

あるいは、

そこに「情報操作」や「情報工作」というようなものが

あったとすれば、どうなるだろう。

われわれの判断は、

間違いなく狂ってくる。

情報に踊らされることになる

われわれが

内的イメー
ジとして作り上げる「世界」は、世界そのものではない。現実と言われているものも、
現実そのものではない。マスコミによって加工され、変色され、歪曲されている。われ
われが、物事を「知る」とは、そういうことでしかない。
  未だ閉ざされたままの言語空間
  ドイツの哲学者、エドムントーフッサールが創始した「現象学」という学問がある。
それは、人や物を見るとき、われわれは先入観や偏見、流行、他人の意見など、さまざ
まな先行情報によって、眼を曇らされていると考える。そこで、真の認識、純粋の知覚
正確な判断が、どうすれば得られるかを考える。つまり、様々な「先入観」、[思い込
み]、「予備知識」を排して、人々物を純粋に認識し、直接的に経験し、そして判断する
にはいかにすればいいのか、
を問うたのである。
  そこで、フッサールはこう言った、「事象そのものへ」と。
  立命館大学教授(哲学)谷徹は、この「事象そのものへ」向かうフッサール現象学を、
こう説明している。
  観念論のそれであれ、科学のそれであれ、覆い隠す思考全てを「考え直し」なが
ら、事象そのものを見ようとしなければならない。フッサールの姿勢は、覆い隠す
思考の枠組みのなかで考えることではなく、そうした思考そのものを批判的に「考
え直して」解体し、事象そのものを見るということだった。既存の思考の枠組みに
頼らずに「自分自身で考える人」だけが、事象そのものを見る
可能性を持つのであ
る。
                                (『これが現象学だ』)
  これが現象学的還元であり、その時、必要なことが「エポケー(判断停止)」である。
エポケーとは、一度、考えることを止めよ、ということだ。
  つまり、身近な話に例えると、テレビや新聞などマスコミからの情報を、一回、遮断

はじめにー「小沢裁判」とは何だったのか
し、忘れろIということである。そして、何も知らないような純粋無垢な状態で、大  6
や物を、もう一度、直視してみよiということである・。
  言いかえれば、私は、小沢一郎に関するテレビや新聞からの情報を、一度、忘れろと
言いたい。私は、これから、マスコミ情報を批判し、否定していくが、それは私にとっ
ての「現象学的還元」から始まる。
  ジャックーデリダやミシェルーフーコー、あるいはサイードなどの著作で、今やわれ
われは、これまで、それが真実だと思い込み、信じていた「世界」が、「ヨーロッパ中
心主義」という価値観で歪曲され、変形されていた事実を知ることができるようになっ
た。何故、アラブやアジアの政治指導者は、ことごとく独裁的で、悪魔的で、醜悪なの
か。それはヨーロッパ中心主義的思考が、一方的に程造した「東洋」なのだ。近代ヨー
ロッパ人の価値観を押し付けた「虚像」なのである。われわれが見たり聞いたりする
「東洋」は、「東洋」そのものではない。ヨーロッパ人の見た「東洋」なのである。それ
を、サイードは「オリエンタリズム」と呼び、デリダは「ヨーロッパ中心主義」と呼ん

 
だ。
  同じことが戦後日本とアメリカにも言える。江藤淳は、『閉ざされた言語空間』で、
戦後の日本で秘密裏に行われた米占領軍による新聞、雑誌の「検閲」が、依然として今
でも尾を引いていると警告した。
サンフランシスコ条約で主権を回復し、独立したにも
かかわらず、われわれ日本人の言語空間は、アメリカの情報工作と政治心理戦の支配下
にある、と。「小沢事件・小沢裁判」は、そのことを、われわれに思い知らせてくれた
という点においてのみ、有益だった。小沢一郎個人には気の毒だったが、いい勉強をさ
せてもらったというほかはない。
  「小沢裁判」とは何か
「小沢裁判」は、結局、一審は無罪判決で終わった。指定弁護士の「控訴」があり、裁
判はまだまだ続くと思われるが、この無罪判決の意味は小さくない。むろん、判決の中
身が問題なのではない。裁判官が、苦し紛れに、無罪判決を出さざるを得なかったとい
う事実だけが重要なのである。
 そもそもこの「小沢裁判」は、裁判自体が「無効」であった何者かがでっち上げた、
政治的謀略としての政治裁判であり、いうなればインチキ裁判であった。
では、誰が、
何のために、「小沢裁判」を仕掛けたのか。
 政権交代を実現し、政治改革を実現しそうな剛腕政治家・小沢一郎。戦後日本を奴隷
国家たらしめてきたアメリカという帝国主義国家からの独立を志向する政治家・小沢一
郎。米軍のプレゼンスは、第七艦隊で充分だと言い放った小沢一郎。「官僚主導から政治主導へ」と、官僚主導の政治構造を批判する小沢一郎。
  その小沢一郎を、政治的に抹殺し、政権交代と政治改革を妨害し、日本という国家を
「奴隷国家」のままにしようとして、巨大マスコミを総動員した情報操作を通じて、巧
妙に仕組んだ「政治裁判」それが「小沢裁判」であった。
有罪か無罪かを議論する
こと自体が無意味なのである。つまりこの裁判は「有罪ありき」の裁判であった。
 その意味で、この裁判が無罪判決で終わったという事実は重要である。いずれにしろ、
これは、この政治裁判が行き詰まったということであり、この政治裁判が挫折したとい
うことだからである。
  だが、裁判が進むにしたがって、「裁かれるべきは小沢一郎ではなく、検察と最高裁
である」、「裁かれるべきは巨大マスコミである」という意見が強くなってきた。ここに
こそ、「小沢裁判」の本質がある。まさしく、裁かれるべきは、「検察」、「裁判所」、「マ
スコミ」、「親米属国派文化人」―である、ということが暴露されていったという意味
で、この裁判の歴史的意義は大きい。
 そこで、あらためて、「小沢裁判」とは何であったのかを、簡単に総括してみたい。
「小沢事件・小沢裁判」を実質的に主導したのは東京地検特捜部の当時の佐久間達哉
長である。佐久間達哉なしには、おそらくこの事件も裁判もなかったし、そして、検察
の暴走、捜査報告書の偽造という「検察スキャンダル」も、検察審査会にまつわる「最
高裁事務総局スキャンダル」も発覚することはなかっただろう。むろん、民主党による
「政権交代」も、今のようにほとんど意義が空中分解し、有名無実化して、民主党自身
が自滅的壊滅状態になることもなかったはずである。その意味で、政権交代を目前にし
て、次期首相の可能性の高い「小沢一郎民主党代表」をターゲットにして「国策捜査」
を実行し、小沢一郎を「代表辞任」に追い込み、しかも執拗に捜査を繰り返し、結果
的に裁判にまで持ち込み、有能な政治家・小沢一郎の政治生命を絶つような「検察の
暴走」を繰り返した佐久間達哉の責任は、日本の現在にとっても、日本の将来にとっ
ても、きわめて重いと思われる。
 しかも最近、明らかになったことだが、佐久間達哉が、田代政弘検事の「偽造捜査報
告書問題」にも深くかかわっており、むしろ彼の指導で、偽造行為は行われた可能性が
高いと言われている。検察審査会に提出された「偽造捜査報告書」には、検察審査会に
提出されたものとは別の、もう一つ、裏の「捜査報告書」があったらしい。小沢一郎を、
検察審査会を使って「起訴」に持ち込むために、偽造行為に及ぶほど、必死だったのだ
ろう。何のために? むろん、捜査報告書の偽造や加工は、明らかに違法行為であり、
犯罪である。これで、佐久間達哉を中心とする当時の「小沢事件・小沢裁判」を担当し
た東京地検特捜部の面々の「犯罪」
が明らかになったわけだが、その責任は重いと言わ
なければならない。佐久間達哉東京地検特捜部長等の「暴走」と「犯罪」を有耶無耶に
してはならない

   野中広務と松田賢弥
  小沢事件の発端は、『週刊現代』による「小沢一郎金脈追及記事」であり、その主な
書き手であったのは「松田賢弥」という正体不明のジャーナリストだった。
  彼は、かつて自民党の幹事長や官房長官を務めたこともある「野中広務」と親しく、
おそらく小沢一郎に関する主な情報源は、「小沢一郎の天敵」とも言われる野中広務か
ら出たものであり、小沢一郎と胆沢ダムにまつわる金権スキャンダルに関する情報も、
「小沢一郎つぶし」を画策する、この野中広務やその関係者あたりから出たものではな
いかと疑われる。野中広務の周辺には、元小沢一郎秘書で、一度は民主党代議士にも
なったが、小沢一郎と対立し、結果的に小沢一郎を裏切り、岩手県の自民党支部に逃げ
込んだ「高橋嘉信」という人物もいる。「小沢裁判」で証言台に立ち、小沢一郎に引退
勧告した人物である。
  だから、この『週刊現代』が繰り返し繰り返し報道した「小沢一郎スキャンダル」は、
単なる「スキャンダル記事」とは異なり、かなり政治謀略的な匂いのするものだったと
言わなければならない。「小沢事件・小沢裁判」は、どのようにして始まったのか。産
経新聞の政治記者、阿比留瑠比はこう書いている。
  この小沢の不動産問題を最初に報じたのは『週刊現代』だが、国会などで大き
く取り上げられるようになったのは、平成19(2007)年1月13日付けの産経新
聞の一面トップの記事[17年の事務費] 小沢氏、4億円に急増」がきっかけだった。
小沢の資金管理団体「陸山会」が、秘書の独身寮を建てるとして土地・建物を購入
し、約4億円を事薇所費として計上していた問題だ。
                          (阿比留瑠比『政権交代の悪夢』)
  こうして、「小沢事件・小沢裁判」は始まった。事務所費問題から西松建設の献金事
件、水谷建設の献金事件など、次々と事件は拡大し、多くの証人や薗言が登場し、検察
のリーグやマスコミ報道を通じて、「小沢事件」の全貌が明らかになっていった。しか
し、たとえば、水谷建設関係者が現金授受の場面を証言し、TBSでは、それを映像化
「小沢裁判」とは何だったのか
はじめにして放送したが、しつけその証言が、嘘たったらしいことが分かっている。にもかかわ
らず、新聞やテレビを中心とする巨大マスコミは、連日連夜、この「小沢一郎スキャン
ダル報道」を続け、現在に至っている。小沢一郎に無罪判決が出た今、新聞やテレビは、
これまでの過剰な「報道犯罪」をどう釈明しているのだろうか。TBSをけじめ、テレ
ビ局や新聞社は、「誤報」や「捏造」を明らかにし、謝罪しただろうか。
 それにしても新聞やテレビの「小沢バッシング報道」は、酷いものだったと言わなけ
ればならない。そもそも、新聞やテレビは、どうやって検察情報を手に入れるのだろう
か、
と疑問に思うのは私だけはあるまい。しつけ新聞やテレビと検察は結託しているら
しく、検察からの「リーグ情報」で紙面や画面を飾るというのが、これまでの慣習らし
い。それならば、新聞やテレビが、検察サイドの情報しか流さないということの理由が、
よく分かる。
 さて、今、マスコミやジャーナリズムで話題の中心は、「小沢一郎問題」ではない。
新聞やテレビはあまり報道しないが、「検察問題」、「最高裁問題」である。特に、「小
沢裁判」の過程で、検察官が「検察審査会」に提出しか「捜査報告書」に、偽造やアン
ダーラインによる誘導があったことが暴露され、完全に攻守が逆転している。いまや、
「小沢事件・小沢裁判」を捏造・指揮した東京地検特捜部の検事や最高裁事務総局とい
う秘密組織の方が、裁かれようとしているのである。私や私の友人たちの調査によると、
すでに市民目線、市民感覚を売り物にして誕生した「検察審査会」そのものが怪しいと
いうことが分かっている。検察審査会の委員は、一般市民から選ばれた「11名」から
なっているが、その委員を選ぶのは最高裁事務総局である。
  では、どのようにして選ぶのか。「くじ引きソフト」というもので選ぶらしい。とこ
ろが、この「くじ引きソフト」に仕掛けがあることが分かっている。つまり、誰を選ぶ
かが、最高裁事務総局の思い通りにできるという仕掛けが施されているようなのだ。こ
れは、すでに国会でも、論議されているから、いずれ明らかになるだろう。いわゆる
「最高裁事務総局スキャンダル」である。
  検察審査会には、もう一つの疑惑が明らかになっている。検察審会の一一名の平均年
齢が、三回も訂正されたからである。このことから、そもそも一一名の検察審査会メン
バーは存在しないのではないのかという疑惑が沸き起こってきたというわけである。検
察審査会には「守秘義務」があるということで、一般市民は、これ以上、追及できない。
ならば、是非とも政治家に、国政調査権なるものを使って、明らかにしてもらいたいも
のである。

「小沢裁判」は終わってはいない
 政治資金規正法違反事件としての「小沢裁判」は「無罪判決」で終かったと言ってい
いが、「小沢裁判」そのものは終わったわけではない。今は、一段落しているだけであ
る。つまり「小沢裁判」とは、小沢一郎が生きている限り続くのだと見て間違いない。
 それは、政治家・小沢一郎の才能と資質を恐れ、警戒し、隙があれば小沢一郎を政治
的に抹殺したいと考えている人間が、あるいは政治勢力がいるからである

  たとえば、政権交代を実質的に潰すためには「小沢一郎」を潰しさえすればいいから
だ。
言いかえれば、「小沢裁判」は、明確に政治裁判であり、政治闘争の一環としての
裁判なのである。したがって、「小沢裁判」を、裁判の技術論や罪刑法定主義の「原理
原則」を持ち出してきて、その不当性を告発し、批判してみても限界がある。「小沢裁
判」は、法の原理原則を無視して、強引に始められた裁判である。国家権力とは、自ら
の権力を保持し続けるためには、何でもやるのである。「国家には生きのびようとする
生存本能がある」と佐藤優は言った
が、まさにその通りだ。
  「小沢一郎は好きでも嫌いでもないが」という弁明から始まる法律論や裁判論には、初
めから限界がある。彼らは、「小沢裁判」が、政治裁判であり、政治闘争であるという
ことを理解していないか、もしくは理解したくないと思っているからだ。むろん、検察
の暴走や裁判の手続きというような議論も必要である。しかし、それは、あくまでも和
手の土俵に乗っか上での戦いでしがないことを忘れるべきではない。つまり、「小沢裁
判」を仕掛けた者たちにとって、判決が無罪であろうと関係なく、政治家・小沢一郎
の政治的抹殺の何割かは果たされているのである。「無罪判決」を勝ち取ったとしても、
政治家・小沢一郎が短期的に負けたことは明らかなのである。
  思えば「小沢裁判」はすでに三年という時間が経過している。その間に民主党代表を
辞任、政権交代後に幹事長になるが、それも辞任。つまり、小沢一郎は、政権交代を実
現したにもかかわらず、実質的には、この三年間、政治活動を禁止され、裁判闘争に明
け暮れていたと言っていい。三年の間に、「政権交代」の夢は潰され、政権交代後の政
治改革はほぼ完全に挫折させられ、民主党政権も回復不可能な致命的打撃を受けた。今
や民主党は自民党よりも自民党化している。小沢一郎を狙った「政治裁判」と「政治闘
争」は、小沢一郎が「無罪判決」を勝ち取ったとしても、その目的を十分に果たしたと
言うべきだろう。むろん、「小沢一郎無罪判決」は重要である。しかし、それだけにこ
だわっていると、肝心な問題の本質を見失う。つまり、小沢一郎を政治的に抹殺しよう
としたものは、誰なのか、ということこそが、問題の本質である

  アメリカの影
 ここで、「小沢裁判」を通じて、明らかになったもう一つの重要な問題を指摘してお
きたい。それは、アメリカという問題である。私は、この問題こそが、「小沢裁判」が
明らかにしたものの中で、最も重要な問題であろうと思う。
  じつは、この問題を、最初に指摘し、実証的データを元に明らかにしたのは、文芸評
論家の江藤淳である。
 江藤淳は、『閉ざされた言語空間』などの著書で、戦後、米軍の占領政策の一環とし
て行われた「検閲」と「洗脳工作」が、日本が、国家王権を回復し、独立国家になって
以後も継続し、今でも、さらに巧妙な方法による洗脳工作が続けられていることを、明
らかにした。
そこで、江藤淳か、「政治家・小沢一郎」を高く評価したのは面白い。ま
るで、今日の「小沢裁判」を予想していたかのようである。
  「小沢裁判の背後にアメリカの影がちらつく」と考える人は少なくない。「アメリカに
逆らった田中角栄が、ロッキード事件を仕掛けられ、政治的に抹殺されたように、小沢
一郎もアメリカに政治的に抹殺されようとしている」と。
  江藤淳と小沢一郎の共通性、類似性は明らかである。つまり、アメリカの「占領政策」、
「植民地支配」、「情報工作」と小沢裁判は無縁ではないということである。小沢裁判の
「無罪判決」の日にアメリカのポスト植民地主義的支配の手先として活動するジェラルド・カーチス(コロンビア大学教授・日本政治研究者)が、有楽町の外国人記者クラ
ブで、「小沢裁判の総括」をめぐって講演と記者会見を予定していたということは、面
白い。事前にこの講演情報が漏れたために、ジェラルド・カーチスは、この日、逆に
「CIA疑惑」を追及され、大恥をかくことになる。
  いずれにしろ、「小沢裁判」の背後に広がる闇は深い。小沢一郎個人の「倫理性」や
「政治手法」にのみ目を向けていると、その闇は見えてこない。「小沢裁判」が問うてい
るものは、小沢一郎個人の問題を越えて、日本の戦後史が抱えている「大問題」-
たとえば、日本という国家は、本当に「独立国」なのか、アメリカの「保護国」、「植民
地」ではないのかーという問題にまで及んでいる。
  小沢一郎の言動や江藤淳のテクストなどを参考にしながら、この問題を明らかにして
みたい。  せようとする。「我執」とは、即ちこのカオスに与えられた名称であり、彼にとっ
て厭悪すべきは、非人間性ではなく、人間性そのものだという主題がここに表れて
いる。
                                     (同前)
  「人間性」と「非人間性」。漱石は「非人間性」を「狂気にがり立てる醜悪な生の要素」、
「厭悪すべきもの」と見たわけではない。「人間性」こそ、[狂気にかり立てる醜悪な生
の要素]、「厭悪すべきもの」と見た、と江藤淳は分析・解釈する。江藤淳か、この漱石
論で、何を見、何を描こうとしているかは分かるだろう。要するに「暗い漱石」、「存在
の暗い深淵を見てしまった漱石」を描こうとしたのである。それが、「存在論的位相」
から見た漱石にほかならない。
  江藤淳の「小沢一郎論」もまた、存在論的位相から見た小沢一郎論であると言ってい
い。言いかえれば、われわれ、現代の日本人は、存在論的位相に深く分け入っていこう
とするような思考能力を失っているように見える。それが、テレビや新聞のようなマス
コミで繰り返されている「小沢一郎バッシング報道」でないと、誰が言えようか。
  なぜ江藤淳は小沢を絶賛したのか
  それにしても、あの江藤淳を小沢一郎に引きつけたものは何だったのか。『
  そもそも江藤淳は、簡単に人を褒めるような人間ではない。
友人でもある政治家・石
原慎太郎にしても、手放しで「褒める」というようなことはなかったし、戦後を代表す
る政治家たち、たとえば吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、竹下登、中曽根康弘
等についても、むしろかなり辛辣な、手厳しい評価を下す文芸評論家だった。例外は、
佐藤栄作ぐらいであるが、それでも小沢一郎に対するほど、手放しで絶賛しているわけ
ではない。
  江藤淳が小沢一郎に関心を持つようになったのは、普通の日本人と同様に、田中角栄
がロッキード事件に巻き込まれ、逮捕され、裁判闘争を強いられるようになった頃であ
ろう。その頃、小沢一郎は田中派の若手代議士として頭角を現しつつあった。とりわけ、
小沢一郎が耳目を集めるようになったのは、竹下登をリーダーとする田中派の若手が、
派閥の領主・mm中角栄に反旗を翻し、新派閥「創政会」を結成し、旗揚げしようとした
時である。竹下登、金丸信、小渕恵三等の横に、小沢一郎もいたからである。田中派か
ら離脱した一派は、竹下登を総理総裁候補として、戦闘態勢に入る。そして竹下内閣が
実現すると、小沢一郎は、官房副長官になる。            江藤淳と小沢一郎の関係は、この頃から始まる。やがて、リクルート事件に巻き込ま
れて竹下内閣が崩壊し、宇野宗佑政権を経て、海部俊樹政権が誕生すると四七歳の若さ
で幹事長に就任する。この頃になると、小沢一郎に対する風当たりも強くなり、マスコ
ミを中心にバッシング報道が繰り返されるようになる。
  しかし、そういう時、小沢一郎に注目したのが江藤淳だった。
  小沢一郎が政界で重要人物として注目されることになった一九九三年の「竹下派分裂
劇」に対する江藤淳の発言を追ってみよう。
 まことに畏れ多いことながら、天皇陛下ご訪中よりも、西武・ヤクルトの日本シ
リーズよりも、竹下派経世会の内紛の方が、はるかに国民の関心を惹いたように思
 
 「こんな興味深い事件はない」という目で、国民皆が見守っていた。新聞を開く
と「醜状見るに堪えず」、「相も変らぬ派閥争い」というような決まり文句が繰り返
されているけれども、そんなことを書きながら、紙面では、竹下派の「小沢対反小
沢」の対決について、連日一面トップで扱っていた。建前と本音がこんなに離れて
いる紙面づくりは近来珍しい。
(「竹下匹小沢『平成自民党戦国史』の読み方-いよいよポスト冷戦の政界再編劇が始まった)  この文章は、『SAPIO』という雑誌に掲載されたものだが、江藤淳か、固唾をの
んで、かなり興奮しつつ、この文章を書いていることが分かる。同時に江藤淳が、マス
コミ報道を厳しく批判していることが分かる。さらに次の文章を読むと、江藤淳か、何
に注目しているかが分かる。
  たとえば、この抗争のさなかに、突如、「小渕氏を会長に推す」という経世会原
田憲最高幹部会座長の見解が表明された。それを受けて「これはまことに不可思議
である」と小沢一郎氏が10月22日午前2時半に記者会見し、夜中の会見とも思われ
ないような口調で、これを非難した。
  記者たちは椅子も何も用意されていない様子で、全員ホテルの部屋の絨毯の上に
あぐらをかいてメモをとり、その後ろからカメラマンがストロボをたいている情景
がテレビに映っていた。
  こんなにエキサイティングなことがどこにあろうか。
  いまどき、人間があれはどの于不ルギーを燃やして、午前2時半に記者会見をす
46る。その背後に21人の国会議員が頬を紅潮させて立っている。驚くべき情熱ではな
いか。
(同前)
  小沢一郎も凄いが、江藤淳もまた凄いと思わないわけにはいかない。じつは、これは、
江藤淳も、竹下派内紛劇を、深夜の二時半まで起きていて、テレビ画面を通して凝視し
ていたということを意味しているからである。江藤淳が、批評的情熱を刺激されていた
ことは言うまでもあるまい。そして、この事件に対する批評家・江藤淳の評価は、次の
よヽつになる。
  竹下派内の小沢派と反小沢派の抗争劇は、しつけ冷戦後の国際環境の変化に対す
る日本の政治の、遅まきながらの対応だと私は見ています。つまり冷戦後の国際情
勢や世界経済の現状は、従来の文節化では説明しきれないからこそ混乱ないしは混
沌とわれわれの眼に映じている。全く同様の、国内の政情も従来の分節化の枠内で
見ていたのでは、相も変わらぬ派閥抗争、猿山のボス猿争いに見えてしまう。だが、
そういう見方では事柄の本質に穿ち入ることができないのではないか。これが夏以
来の政局を観察して得た私の最初の感想です。
(同前)
  江藤淳が、すでにこの一九九二年の時点で、小沢一郎を取り巻くマスコミの「軽薄
さ」の実体を見通していたことは、やはり江藤淳ならではの慧眼という他はない。江藤
淳は、竹下派内紛騒動のなかに、単なる派閥後継争いではなく、「冷戦終結後」の世界
秩序の構造転換という歴史的な意義があることを見抜いていた。政治記者や政治評論家
だちとは明らかに違う視点である。つまり、竹下派内の内紛劇は、誰が跡目を相続する
かというような形態をとっているように見えるが、しつけ、自民党や永田町を超えて、
日本国内はもとより、国際情勢や安全保障にも関わる重大な問題を内包しているという
わけだ。それが分かっているのは小沢一郎という若い政治家だけではないのか、という
わけである。
  憲法改正論
  江藤淳と小沢一郎の間で共鳴、一致するところは少なくない。が、私は共鳴し、一致
するところと言っても、政策や思想の一致など、意識レベルのものはあまり重要だとは
48 思わない。むしろ重要なのは、人間本質にかかわる部分であり、体質や心情、生活態
度など、無意識レベルの一致、共有の方であると考える。本居宣長は、「意は似せ易く、
姿は似せ難し」と言っているが、本居宣長の言う「意」とは、政治に換言してみれば、
政治思想や政治的政策や理念などであろう。こんなものは、誰にでも簡単に真似できる
と本居宣長は言っているわけである。「姿」とは、物真似しようと思っても簡単に真似
できないもののことである。たとえば、立ち居振る舞い、あるいは顔かたち、生き方の
スタイルというようなものは容易には真似できないものである。
  しかし、江藤淳と小沢一郎の共鳴するもの、一致するもので、政策や理念にかかわる
問題で、忘れてはならない問題がある。それは憲法問題である。
  小沢一郎が、「小沢調査会」以来、若い時から、安全保障問題を中心に憲法問題に取
り組んできたことはよく知られている。最近の「米軍は第七艦隊で十分だ」発言とか、
「沖縄米軍基地海外移転論」などは、物議をかもしたけれども、あれは、小沢一郎の思
いつきの発言ではなく、長年にわたる研究、熟考の上での発言である。つまり、小沢一
郎は、「憲法改正」と「日本独立」を早くから模索し続けてきた政治家である。
  ところで、じつは、江藤淳こそ、元祖「憲法改正論者」だった。
  江藤淳の仕事の重要な分野の一つが、戦後、アメリカ占領軍に押し付けられた「日本

第一章江藤淳と小沢一郎
国憲法」の研究である。『一九四六年憲法-その拘束』や『忘れたこと忘れさせられた
こと』、『閉ざされた言語空間』などの著書は、その成果である。江藤淳は、一九七九年
(昭和五四年)に、戦後憲法研究と米占領軍の検閲問題の研究のために、ワシントンの
ウッドロー・ウィルソン国際学術研究所に、研究員として赴任している。そこで、江藤
淳が明らかにしたことの一つが、米軍による検閲は、憲法の成立過程の内情を隠蔽し続
けるという検閲だということであった。江藤淳は、憲法成立過程において、何か起こっ
たのか、何がわれわれ日本人に隠されたのかを明らかにしたうえで、憲法改正という問
題を提起したのである。
  しかも、江藤淳の憲法論も、小沢一郎と同じように、アメリカからの軍事的独立を模
索する「日本独立」を視野に入れた憲法改正論であり、その中身は対米独立論であり、
自主防衛論であったと言っていい。たとえば、田久保忠衛との対談で、こう言っている。
  問題は冷戦後の世界だと思います。(中略)戦後の第一の敗戦から今日までの歴
史を振り返ると、日本は防衛、安全保障、国際政治の面では一人前ではなかった。
しかし経済は別だ。(中略)しかしこれからは列強の時代ですから当然列強の一つ
に日本はまた戻る。そうなれば憲法問題がまず出てくる。日米同盟は大事にしても
51 「自国の防衛は主として自国が負担する」という国民的合意の形成に政治は動かな
ければいけない。それを前提にしたうえで、たとえば国連安保理の常任理事国にな
る。そこで初めて戦後が終わる。そして「新しい時代が二十一世紀に向けて始まる
んだ。日本はやっと大人になれる機会がきたんだ。さあ、日本の政治はどうするだ
ろう」と思っていたのです。
                               (「新春『正論』対談)
  江藤淳が言っていることは、憲法改正を通じての対米自立、自主防衛ということであ
る。「冷戦終結」は、そのいい機会になるというわけである。しかし、その後の日本の
歴史は、そうはならなかった。文字通り「足踏み」状態であり、むしろ「逆戻り」し
つつある。そこで、日本の独立、自主防衛を実現してくれるかもしれない政治家として、
江藤淳が期待した政治家が小沢一郎だった。そのためには、小沢一郎の「剛腕」も「権
力闘争」に賭ける情熱も、あるいは場合によっては「金権体質」さえも、必要になるか
もしれない、と江藤淳は考えていたのではないか。
「第二の敗戦」論と「沖縄米軍基地国外追放論」
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  バブル崩壊後、一九九八年一月、江藤淳は「第二の敗戦」を『文蕪春秋』に書いた。
大きな反響を呼んだが、江藤淳の言う「第二の敗戦」とは何だったのか。当時は、この
言葉は、一般的には「経済敗戦」だと思われていたが、江藤淳のいう「第二の敗戦」は、
もちろん、そういう意味ではなかった。しつけ、第二の敗戦とは、日米安保問題、沖縄
米軍基地問題をめぐる日米関係論にかかわる外交問題、安全保障問題だった。
  江藤淳によると、日本は冷戦終結と同時に新しい可能性、つまり対米独立、自主防衛
の可能性があったにもかかわらず、その可能性ではなく、逆に第二の敗戦を迎えたとい
うのである。むろん、第一の敗戦の相手がアメリカだったように、第二の敗戦の相手も
アメリカであった。つまり、冷戦終結後、自民党長期単独政権が終焉し、細川非自民連
立政権が成立する。が、それも内部分裂から崩壊し、今度は自民党主導の「自社さ」連
立政権・村山政権が誕生する。その後、期待されつつ成立した自民党中心の橋本内閣
だったが、平成八年四月、「橋本・クリントン会談」で、「日米防衛協力指針」、いわゆ
るガイドラインを取り決める。
  しかし、ここに問題があった、と江藤淳は考える。つまり、このガイドラインは、対
米自立、自主防衛の可能性を探るというよりも、むしろ逆に米軍依存をさらに拡大する
ものだったからだ。後方支援活動に民間能力を活用することを初めて明らかにしたのだ。 53
一jgiL 
つまり積極的な民間協力の要請も含め、日本は軍事的な空間として、全面的にアメリカ
の空間に組み込まれることになったのである。在日米軍の固定化・拡大化である。これ
が即ち、第二の敗戦である、というのが江藤淳の「第二の敗戦」論である。
  その頃から、江藤淳は〔反米保守〕の思想的立場を、言いかえれば、外国の軍隊に依
存しない日本自立論、自主防衛論の立場を明確にしつつあったが、この「第一一の敗戦」
論こそ、それを、明確に宣言した論文である。
  とすれば、もうおわかりのように、鳩山由紀夫や小沢一郎の言う「沖縄米軍基地海外
移転論」こそ、江藤淳の「第二の敗戦」論の延長上にあると言うべきである。政権交代
の「今」こそ、沖縄米軍基地を国外に追い出し、自主防衛、日本独立を目指す絶好のタ
イミングだったのである。しかし、鳩山由紀夫は、「政治力の欠如」という資質を露呈
し、自らが登用した防衛大臣や外務大臣の「裏切り」に直面し、自滅する。その時、鳩
山由紀夫は、小沢一郎を道連れに政権を投げ出す。本当は、小沢一郎こそ鳩山由紀夫の
味方だったのだが、彼はそれに気付かなかった。
  鳩山が、辞任声明の直前、「親指」を立てて見せたのは、明らかに、自分の辞任と一
緒に小沢一郎も辞任させるという「小沢一郎つぶし」に成功したという合図だった。鳩
山は、後に小沢一郎しか頼りにならないということを知ることになるが、時すでに遅し、
というわけである。
  江藤淳にしろ小沢一郎にしろ、もともとは反米主義者ではない。むしろ親米派であり、
アメリカ文化への憧れが強い。江藤淳には、プリンストン大学留学体験記『アメリカと
私』があり、小沢一郎にしても、湾岸戦争当時は、決して対立的な関係ではなかった。
しかし、冷戦が終わり、アメリカが唯一の超大国になり、「一国覇権主義」へ移行する
に従って、憲法改正と日本の独立を目指す江藤淳や小沢一郎とアメリカの関係にヒビが
入りはじめる。
  彼らは親米派であり、アメリカ文化への憧れが強いが、植民地主義的な「従米主義」
には反対する。在日米軍基地にも、それが日本という国家の独立と国率王権を侵害する
が故に反対する。そこに、日米同盟堅持派、もしくは在日米軍存続派によって、江藤淳
や小沢一郎が「反米主義者」や「裏切り者」に仕立てあげられる理由がある。小沢一郎
が、検察やマスコミ、そしてアメリカに狙われた理由もそこにある。
  江藤淳が目撃した政治家・小沢一郎
  江藤淳が竹下派分裂劇を食い入るようにテレビで見ていたことは前にあげたが、じつ
はそれより前に小沢一郎とは面識ができていた。

 

 

 

 

 

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