
平成19年2月・特別編・久しぶりに町を歩いてみた

春の陽光が私の視床下部に影響を与えたのだろうか。駅まで歩いたついでに町を歩いてみた。
私の住んでいる場所は東高の近くである。まず、城山下の「お浜公園」(左)【私たちは
ただ「遊び場」と言っていた。】(中)ここは昔米屋だったと思ったが。(右)ここはずっと変わっていない。

左・建物の前から右は海だった。(カメラの場所も)ここに渡し船があり、大人一円、子供無料だった。
宇高連絡船の「紫雲丸」が沈没した日に、この渡し船も沈没したことがあった。(と記憶している)
中・正面の家は貸し船屋で、海に面していた。ここから道は曲がって盛運社の方についていた。
右・この家は昔から変わっていないように思う。何時も家の前に犬がいたけどそれがいなくなったかな。

左の二枚は何年か前のもの。もう何時の頃だったのか忘れてしまった。

この駐車場は海だった。その後「東邦相互銀行」になりやがて伊予銀行に吸収された。
そうして現在は「宇和島信用金庫」の駐車場になっている。その先は国道56号線。
右はそこから来た方向を西に振り返った視線。道路の右は海だった。

左・国道56号線。景観地区で、電線は地中に埋設されたが。似たような柱が乱立している。
右・茶色いビルは「日劇」の跡に建てられた。その左は消防署。

商店街に進むとこういう紙切れを目にする。中・「ササオカ」の角。「キジマビル」にはよく飲みに行った(右)

この駐車場は元「東映」があったところ。

商店街には小さいが本物の「三越」がある。
(国道沿いには「高島屋」もある。どちらも外商主体みたい)

左エビス神社の前のビル、中・袋町にある「エビス神社」
右・昔「ロマン座」のあったところ。(藤色の看板の向こう)

本山ビルは場所を伝えるにはいい目印になる。

左・「蛇の目寿司」は昔からある。中・「クスノキ・スポーツ店」「キング堂書店」は無くなった。
右・元宇和島藩家老「桑折家」、突き当たりの城山下には「蔦屋旅館」があったがもうない。
この「桑折家長屋門」が城山登山口に移築された。
「文具の文泉堂」もなくなったが(左)モナミは「百波」としてある(右)
「モナミ」は二階の茶店は結構利用したなー。この少し下にあった「子安万頭」も地下の茶店ももうない。

宇和島で一番夜が賑やかなところ、通称桜新道(さくらしんみち)。今はここも大変みたい。(左)(中)
昔、ここに趣のある木造アパートがあった。多分「南風荘」だったと思う
今は信用金庫の駐車場になっている。(右)
アッ、通り過ぎてしまった。

昔「丸劇」があったところ。(左の空き地)ここを進むと裏門の城山登山口に出る。

アイビールックの火付け役になった「VAN」は宇和島でもその頃に出来た。今でも「蛮」としてある(左)
(中)ここは戦災をまぬがれたらしい。木屋の隣のコーヒーショップ。風情ある建物が気に入っている。
(右)宇和島でも有名な画廊・画材店(写真の左端)

初めは「中央キネマ」その後「菊美ど里劇場」その後「日活」
昔は国道に面した方が背中だった。大火事で焼失した後、トンガリ帽子のメガネ屋になった。
この駐車場は昔の「丸重旅館」の跡。右手は医院だったが、これもなくなった。
これで家に帰るが、順路はばらばらだがついでに載せる。

左・「ほづみ亭」(昔は本当に庶民の味で、ホウタレとかゼンゴとか主体だったが、いつのまにかサザエ、
アワビがならんで高級感が出てきた。上野、浅草が銀座、六本木になったみたい)
中・「にわか食堂」(現在営業中かどうかは不明、隣は「村雨食堂」上の菊美ど里の跡=左=に看板だけある)
右・「大介」(うどんがメインだが、ここはだいたい日本食がなんでもある)
「大介」が出たならこれを出さない訳にはいかんだろう。

本町「菊屋」、なんたって「カレーうどん」か「チャンポン」か
それ以外のメニューを食べたことはない。
(これを書くのを忘れていて、ある人からのメールで気がついた)

市内に残った数少ない書店、駅前の「岩崎書店」楽器屋もしている。
町を歩いて一番感じることは、歩いている人が非常に少ないことである。
人は歩くことで考えると聞く。歩きながら考えることで思考力がつくらしい。
哲学の道のようなものが宇和島にも欲しい。歩くとそこで急に立ち止まることも出来るし、
道草をくうことも出来る。車ばかりの町では発展がないだろう。すべての基本は歩くことではないだろうか。
東京生まれ、東京育ちで、繁華街のなんたるやをご存じの方が、昔宇和島においでに
なったとき、「当時の宇和島の銀天街の賑わいに、こんな田舎にこんな賑やかな通りがあったのか、
と驚いた。」という話を直接伺ったことがある。
これ以前のバックナンバーはこちらをご覧ください。
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