
平成19年5月・水源地まで歩いた−その4
徘徊老人では人聞きが悪い。彷徨老人ではだめかな?
さてさて、先ほどの(と言ってもかなり時間は経過した)酒屋の前まで戻る。

あがり橋を渡って柿原街道を八幡様まで歩いた。

ここらは、まったく柿原の原風景(私の中での)

ここらも上に同じじゃ。
ここらも。私の中では変わらなかった。

だが、この辺りからはげしく動揺してきた。都市化現象が押し寄せている。

おー、すごい! 真ん中の写真は紛れもない柿原だが??左右の写真は何処なんだ?
動揺なおも強し。

私の知っている右の2枚はグレイの高いコンクリートの塀に囲まれていた。
確かに暗さは消えたが、うーん。変わった。ここら辺はあまり来ないもんな。
(敷地内での撮影禁止と書かれていたが、道路からなのでいいんだろうな)
(宇和島拘置支所)

街道は変わらないがちょっと脇に入ると、別世界だった。

記念碑 通る時は車で素通りなのでこういう物には全然気がつかなかった。

おー「ヒロシ君」仕事してるな。感心感心。(極めて個人的)

ここらは建築ラッシュのようである。結構工事用車両が行き交っている。

ここらは懐かしい景色だ。
私のイメージでは、この小さな溝の上に車が停まっているのが柿原。

貧しい私は特待制度のない自動車学校には行けなかった。
しかし練習所で数時間乗っていきなり試験に合格したぞ。
運が良かった。安上がりだったなー。七時間のチケットで取れたもん。

左のマンションはこの辺りでは最も古くからあるものかな。
高校時代、この近くに「ガボ」というニックネームの吉高の友達がいた。(右)
彼はトーハツ・ランペットという50ccのバイクを持っていた。
2サイクルなのですぐに焼き付き、私が借りたスーパー・カブの方が遙かに強かった。
遊びに行くと、よく家の前でエンジンを分解して遊んでいた。

愛短の校舎(左)と東禅寺(右)

ようやく八幡様の前まで来た。ここもすっかり変わった気がする。
そのうち、八幡様特集でも組もうかな。その気で写真は溜め撮りしたけど。

伊吹橋と鳥居の記念碑

ショック。私は卒園者ではないが、この「山田保育園」も廃園となった。
詳しくは写真の文面を御覧あれ。

安藤様の記念碑 と 伊吹橋の上から

山の上を見て欲しい。携帯電話の中継塔のようなものが乱立している。
聞いた話では、ここらには中世の城跡がたくさん有るらしいが、無断で破壊したらしい。

八幡橋(やはたはし)

八幡橋を市内に向かうと朝来た、泉町三叉路に出る。

須賀川沿いの道を歩いた。この踏切は「ガボ」君ちに行くとき良く通った。
一度特急が通った後なので、しばらく汽車は来ないだろうと思っていたら、
突然キンカンと警報が鳴り始めたのには焦った。あわてて踏切から出たが、
列車はどちらから来るのか判らず、まごまごした。
(宇和島は電化されていないため、電車とは言わない。あくまでも汽車、あるいは列車である)
そうしたら、一両だけのディーゼルカーが宇和島方向から来た。

私はこの木のある風景がとても好きだ。
この木が楠である事を初めて知った。通行の邪魔には違いないが、誰もこの木を切ろうとしない。
みんなこの木を大切に思っているのだろう。十枚以上写真に撮ったが、結局出すのはこの一枚だけになった。

中心部に近づくにつれて、川の水は濁ってきた。根無川(ねなしかわ=高光からの川)の工事をしているからだ。

道連橋のところから、今朝通った旧国道320号線に出た。
途中、「古川橋」なるものを見つけた。
おまけ・JR宇和島駅にある、お恵ちゃんの電話ボックス

昨年亡くなった宇和島出身の歌手「松山恵子」の大ヒット曲
「お別れ公衆電話」にちなんで、携帯電話専用の電話ボックスが
設置されて久しい。東京の友人から、そんなものが有るのか?
と聞かれ、有るはずだが、と帰り道に立ち寄った。私の記憶では
もう少し、アズキ色だったような気がしたが、勘違いだったか。
以前、NHKのラジオで本人もこれについて話していた。

「何も言わずに、このままそっと汽車に乗ろうと、思ったけれど……」
充電が出来るって、粋だねー。
自宅でしないでここで充電しようとする、せこい人が居なくて安心した。
と言うことで、私の春の遠足も終わったが、橋物語の続きをする気になってしまった。
まさに、天の声だ。
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