
平成19年5月・遊子の段畑が重要文化的景観に選定
遊子の段畑が「重要文化的景観」に選定される。
国の文化審議会(石沢良昭会長)は5月18日、宇和島市遊子の「遊子水荷浦の段畑」
(約8・3ヘクタール)を重要文化的景観に選定するよう伊吹文明文部科学相に答申
した。選定は中四国以西では初めてで、全国で3例目。
段畑は、宇和海に面した標高65―95メートルの半島で、平均こう配約40度の斜面
に石を積み、幅約1メートルの畑が幾重にもなっている。近世、近代を通じて、サツマ
イモやジャガイモ、桑などが栽培され、現在は28世帯が約4ヘクタールで耕作している。
選定では、段畑が宇和海の風土と調和し、地域住民の生活と深く関わりながら維持さ
れてきた点などが評価された。これは滋賀県「近江八幡の水郷」と岩手県「一関本寺の
農村景観」に次いで全国3例目。
先日聞いた嬉しい話し。
この地域で暮らすある少女が中学生の頃のこと、部活を終え、帰宅する頃には、辺りはすっかり
日が落ちて暗くなっていた。澄み渡った夜空には満天の星が輝いていた。夜空を見上げた少女
の目には、高く連なった段畑の石垣が、まるでその星空に続く階段のように思えた。少女はこの
石の階段を守っていこうと心に誓った。都会の大学を出て社会人になってからも、彼女はこの段畑
を懸命に守り、維持することに努めてきた。その夢が今一つ叶った。彼女の夢はさらに広がるだろう。
段畑保存にかかわって来られた関係者に敬意を表し、だんだん祭りの日の様子を主に紹介。

平成19年4月15日
遊子、水荷浦でじゃがいもの収穫を祝って「だんだん祭り」が催された。

一昨年の写真。

昔は宇和海に臨んだ沿岸部はみなこのように段畑になっていた。
(写真・原田政章氏・段々畑より)
一般にこの段畑を称して 「耕して天に至る……」 と言われる。
これは李鴻章が作った漢詩であると言われているが、実はそれを裏付ける資料はまだ見つかって
いない。以前、アジア資料センターに問い合わせたが未見であり、国立国会図書館でも見つかった
という話を聞いていない。日記、あるいは手紙などで発見されるか、または別人の詩かもしれない。
私も、子供の頃に、李鴻章が条約調印のため来日した時、
山口県の(あるいは九州)段畑を見て作ったと聞いていた。
半農半漁の宇和海の住民の生活は、まさに貧困との戦いであった。

祭りには延べ四千人ほどの人が訪れたと言う。

テレビのクルーも取材に来ていた。(左)
この日、天気は今一つだった。畑は東に面しているため、写真を撮るなら午前中がいいだろう。

しかし皆が祭りに興じている間も、一人黙々と農作業をしている変わったおやじが一人いた。(左・右)
こういう人がいることがまた面白い。
ここにある石の一つ一つが、苦難の積み重ねの上に成り立っている事を忘れてはならない。
とりわけ、デラ台風で多数の犠牲者をだした宇和海では、捕る漁業から養殖漁業に転換し、
はまち・鯛・真珠と好景気の恩恵を受けるようになってから、畑は見捨てられようとしていた。
荒れ果てた畑を直し懸命に守ってきた地元の関係者のご尽力を思うとき、感慨無量である。
しかし、これはまだ序章でしかない。これから段畑の真価が問われようとしている。
幸いなことに「じゃがいも」の味は好評である。御覧のように、器械では出来ない土地
である。人間の心が土地に、作物に伝わるから美味しいものが出来るのだろう。
都会の人たちよ 「田園まさに荒れなんとす」 早よー帰ってきなせや。
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