
平成19年6月・来村川に沿って歩いた
歩いたのは5月だったが。時間が取れず六月にずれ込んだ。
今回は南高の裏を出発点とした。

この水門は昔のままである。

まずは板島橋を渡り川に沿って上流に向かった。
ここは私らは「保手川」と呼んでいたが来村川だそうな。

昔と随分変わった。(私の言う昔とはおよそ50年前、ギョッ!!半世紀前だ!)

板島橋を振り返る

ここらは不慣れな人は車で通りにくいだろうな。

複雑な交差点を左折して保手橋を渡り、川の左岸を行く。(今回の右岸・左岸は上流に向かっての表現)

対岸は昔は一面の畑だったが、今ではすっかり住宅街に変わった。

三島様と古城山との間を長堀の方に出る。

三島様の階段(中)と三島橋と堀部公園(右)

橋を右岸に渡り三島様を見る。堀部公園の入り口(右)



堀部公園入り口(左)と薬師神伝左衛門尉親頼の墓(右)
小学校の頃遠足で来たことがあるが、あの頃は一学年一クラス55人で8組まであった。
ざっと計算しても400人以上の子供がここに来たなぞ今では考えられない。
鈴なりになっていたことだろう。

堀部公園の上には小さな広場がある。
一時期はかなり荒れ果てていたが最近はボランティアのおかげで綺麗にされている。

堀部彦次郎の胸像(左)
「城南の春静なり黄楊の園 明皎々」 明皎々=高畠亀太郎(中)

実は適当に写真に撮って、帰ってから何と書かれているか見れば判る、と思っていたが。
失敗だった。この堀部公園には
「まいまいの舞ひ疲れては草による 閑」 の句碑もあるはずだが、
見逃してしまった。閑=長山閑子=長山芳介、堀部彦次郎の三男。

宮下橋までは右岸を歩いた。来村川の畔を歩く、という「のどかな気持ち」になれるのはせいぜいここまでである。

宮下橋から左岸に渡り上に行く。

ここから道は狭くなる。左には住宅が広がるが川よりも少し低いため、大水がでると大変らしい。

目の前にバイパスが見えてくる。

昔から来村はブドウの産地だった。

すっかり変わってしまった。以前ここらには「螢」がよく飛び交ったらしいが、今はどうなんだろう?


石碑は「石引き道路」建設の記念碑

ここまで来たら、あまりの変わりように驚いてしまった。

右端のトンガリ帽子の建物は昔からあるがいつの間にか業種が変わっていた。
帰りにそこのそばを歩くことにする。

今はバイパス「宇和島道路」は高串から薬師谷入り口まで開通したが、さらにそれを津島まで
延長する工事が行われている。まるで別世界に来たような気がする。びっくりするのと同時に、
えー! ここは何だったのだろうか?などとあっけにとられてしまう。
友岡様まで来村川に沿って歩くが、これから先はあまり「生活感」とか「懐かしさ」などは無縁になってくる。
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