10月・久しぶりの大浦湾埋め立て状況・宇和津彦神社秋祭り風景




久しぶりに大浦湾埋め立て状況を視察に行った。


九島を眺めるこの光景もやがて変わることだろう。

  
玉カ月の堀切の坂を下る。


少し重なったかな。画像を張り合わす余裕もなくなった。はっはっは、汗。

  
この鉄板と現在の道の間にある水路みたいなところは全部道路になるらしい。
上の写真の小母さんが言っていた。

  
たまたまなのだろう、水は綺麗に澄んでいた。4〜50センチもあるボラが泳いでいた。
やがてここが道路になる。



宇和島東高等学校の本館建設工事


宇和津彦神社秋祭り

10月29日、宇和島旧市内では最後の秋祭り、宇和津彦神社の祭りが行われた。
市内中心部の氏神様で、牛鬼ひろばが御旅所として使われた。
(お断り・出来るだけ顔を写さないように気をつけましたが、大勢の人のため顔が写ってしまった方、
どうかお許しください。具合の悪い方はお申し出くだされば撤去します)

私は三島神社の氏子なので、恥ずかしながら、今回生まれて初めて一宮様の祭りをほぼ全編見たのだ。

和霊様の祭りがテレビ向けステージショウ的な感じがするが、当地方の秋祭りはやはり素朴さが漂う。
(ただ、どうもなにか最近ブームの喧嘩祭りのような品のない雰囲気が一部に見られた。)

 
佐伯町の獅子舞
   
大工町(愛宕町)の猿田彦
いやー、これは驚いた。初めて見たが大変可愛かった。お面の神様はただ歩くだけだが、
ところどころで踊る四人の子供さんと単調ながら親しみの持てる軽やかな太鼓のリズムが何とも良かった。

   

とりあえず神社境内に向かった。(上は家を出てから神社までの途中に出会ったお練り)

  
いつもは静かな神社もこの日は賑やかであった。が、昔はもっと盛大であっただろう。

 
次々とやってくる牛鬼。左は子供の牛鬼、右はエリート中のエリート、丸穂の牛鬼。
大きさを比べてもらいたい。(丸穂のはもっと大きなものがあったような気がしたけれど)

 
午後から出直して遭遇した丸穂の牛鬼。バックは木屋旅館。右は桜新道の八ッ鹿。
どちらもミスキャスト?

   
午後三時半に牛鬼ストリートで祭事があると聞いたので、ここで待つこと数時間。
だんだん練りが集合し始めた。(左)牛鬼広場=たんなる交差点。


八ツ鹿の子供の頭を直すパパ

   

次第にみんなが集合し始めて、やがて各町内の出し物が奉納された。
佐伯町=獅子舞、(旧)大工町=猿田彦、裏(裡)町=八ツ鹿、丸穂=牛鬼
この他に昔は野川のお槍振りがあったが後継者がいないのかこの日見ることは出来なかった。

   

特別しょぼい企画・しょぼいデジカメで撮った音のでないしょぼい動画 WMV

桜新道の八ツ鹿

二見食堂前の
八ツ鹿

子供の牛鬼

大人の牛鬼

何とも可愛い
猿田彦の巫女さん

1:06 3.24MB

53秒 2.72MB

31秒 1.64MB

1:18 5.55MB

1:05 3.19MB

これで音声でもあれば少しは伝わると思うけれど、なにしろ財布が軽いので。

動画の見方。右クリックで対象を保存して、メディアプレーヤーで御覧ください。


左クリックでは、なんらかの警告画面が出ると思います、そのまま再生出来る場合もありますが、
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大工町猿田彦行列由来と変遷

宇和津彦神社由来

宇和津彦神社は、藩祖伊達秀宗治世の寛永九年、榊森(現在地)に移し祀られただ、正保年間に類焼するところとなり、慶安元年(1648)に新宮落成し遷座、今日に至っている。

 翌二年、新営を祝って、上下あげての盛大な祭りが催され、全氏子から祭礼ねりが繰り出されたが、大工町(愛宕町)からは天童、巫女を随えた猿田彦行列(大道神楽)が出て、町々を浄め、辻々で神楽を舞って、ねりの先導役をつとめたとある。

 爾来数々のねりが籤引きで巡行の番を争ったが、猿田彦行列は天孫降臨の故事に法り、番外一番として常にその先導を賜った様子が、往時の祭礼絵巻に残されている。

 重ねて星霜三百数十年、行列の形態、装束などは時代の移り変わりと共に変遷を重ねた。明治中期には一時衰退したが、大正十年頃には装束道具も新調され再び隆盛に向かい、現在に受け継がれているものがそれである。

 昭和戦後の混乱期には一時廃れたこともあったが、昭和四十七年に復
活し、以後毎年十月二十八(宵宮)二十九日の祭りには、今では数少な
くなった祭礼ねりの一つとして、その健在な姿をとどめている。

 各地の祭礼において、神輿の先導をつかさどる猿田彦をよく見かけるが、
これらの多くは、いわゆる天狗面に鉾を持った姿が通例である。この「大工
町」猿田彦の面は巨眼、巨鼻の壮漢を偲ばせる雄大なものである。
 この面は江戸期(天保時代)の作といわれているが、その作者は定かではない。しかし風格あるその面貌から推しても、当時名だたる面師の手になるものと思われる。
 このねりでは、猿田彦に随う巫女が町々において神楽を舞うのが特徴であ
る。この神楽舞いは四人の少女たちが白羽二重の舞衣(ちはや)をひるがえ
して舞う姿になぞらえて、鷺舞、または白鷺の舞と呼ばれている。

 この神楽の囃子を奏でる宮太鼓には、天保八年(1837)酉七月吉日、
細工人摂州大阪渡辺村播磨屋源兵衛の銘が記されている。

宇和島市愛宕町 「猿田彦ねり保存会」
案内パンフレットより

かつては宇和島城下の総鎮守であった。社記によれば、延暦11年(792)
土佐の高賀茂神社(現高知市の土佐神社)より勧請されたとある。
社殿は次のような歴史をもつ。

@ 建久年間(1190〜99)に橘氏が一宮社  を造営
A 文亀3年(1503)西園寺氏が一宮、山王  の両社を造営
B 天正15年(戸田勝隆が社殿を没収
C 文禄5年(1596)藤堂高虎が一宮、山王  社を再建
D 寛永9年(1632)伊達秀宗が玉串森(榊  森=さかきのもり)に一宮 大明神を建立し  たが、正保3年(1646)社殿再建、以来、  宇和津彦神社と称されている。通称を一宮  様(いっくさま)といい、祭礼の練り物は慶   安2年9月9日から始まった。

 もともと南予地方のことが文献に現れるのは旧事記で「景行天皇の皇子国乳別命(くにちわけのみこと)が成務天皇の時代に宇和別(うわわけ)の祖となったとある。別とは地方長官の意である。仁和元年(885)に「宇和津彦
神に従五位の下を授けた」と三代実録にあるが、宇和津彦神とは誰であるのかはっきりしない。宇和地方に勢力を有した氏神と思われるが、この神を祭った神社の本庁は宇和地方の宇和津彦神社ともいわれ、土佐−宇和−宇
和島とも関連づけられ、宇和津彦神社の起源は確定できていない。

 現在の秋の祭礼に地は毎年10月29日であり、秋の風物詩となっている。

←これは一見の価値有り。


平成16年8月

平成16年9月

秋の目黒鳥家

三浦天満宮
平成16年11月

平成17年1月

 平成17年2月

平成17年3月

関口知宏鉄道の旅

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平成18年3月

番外編・内子町のしだれ桜

平成18年4月

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平成18年11月

平成18年12月

平成19年1月

平成19年2月 
JR宇和島駅周辺

平成19年2月 大浦まで歩いた

平成19年2月
石応まで歩いた

平成19年3月 
商店街を歩いた

平成19年4月
野川を歩いた

平成19年5月
水源地まで歩いた
平成19年5月 遊子水荷浦段畑重要景観地区に選定される

平成19年5月
ホクレア号来航

平成19年6月 ホクレア号出航

平成19年6月 来村川に沿って歩いた

平成19年7月 宇和島東高本館解体など
平成19年9月
宇和島市立病院建設観察日記

これ以前のバックナンバーはこちらをご覧ください。

城下町宇和島から・最近の宇和島

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