
平成19年3月・特別編・商店街を歩いた
商店街に行く前に。
いつの間にかマックが開店していた、(3月3日写す)

サウジアラビアの皇太子は肥満と高血圧症がアラブに増えることを懸念していたとか。
宇和島でも、高血圧、肥満、メタボリックシンドロームが増えないことを祈ろう。
そう言えば私も引っかかりそうだ。
多少時間と画像の差があることをご容赦願う
(画面はあくまでもイメージである?)

商店街に行く前に、ここを通る。
(左)東高横の道。昔ここは小川であった。今は判らないが暗渠になっている。
(中)ホワイトハウス。古くからあるおしゃれな家だ。
(右)ここで弁当を買った人もいるだろう。
商店街に入る前に、追手の近くを見る

(左)よろずやカメラ店はずっと昔からあった。隣の空き地は「花屋旅館」から「青野胃腸器科」になり、今空き地
(中)レッドブーツは何時頃からあったのかなー。
(右)お好み焼き「鬼っ子」は伊予銀行追手支店の横。この奥に「丸水」がある

銀天街を上から入る。入り口の「木藤」時計店の時計台はかなり昔からあった。

看板が読めないことがあるがお許しを。ここからずっと恵比須町まで下がる。
まずは袋町銀天街から。面倒なので店名は書かない。「丸の内」の看板が一番多いと感じた。

喫茶モナミは私が高校時代からあったような気がする。甘党には懐かしい。
別なページでも出したが、右端の写真のこの角には「クスノキスポーツ店とキング堂書店があった。

赤ちゃんの店「マルマン」はなくなったが袋町は懸命に頑張っている。
木下正月堂の「唐饅頭」は限定生産なので早く買わないと売りきれるそうだ。

高校の頃、この辺りに「子安まんじゅう」があって地下に喫茶店があった。

ここが「がいやカーニバル」のメインの広場になる。

どこにもこんな金貸しビルがあるんだろうな。(左)
勉学関係の看板と対照的だなー

ちょっと重複したかな??

ふれあいサロン「宇和島市市民サービスセンター」なるものが出来た。

宇和島市のホームページから。平成18年5月31日、市民サービスセンターを開設
〈場所〉 宇和島市中央町2丁目5番24号 袋町商店街(ふれあいサロン内)
〈利用時間〉 午前9時45分〜午後6時30分(毎週木曜日、1月1日は休業)
〈取扱業務〉
◎戸籍の謄抄本 ◎除籍の謄抄本 ◎改製原戸籍の謄抄本
◎個人事項証明書 ◎戸籍の附票写し ◎住民票の写し
◎住民票記載事項証明書 ◎印鑑登録証明書 ◎身分証明書(戸籍)
◎固定資産評価証明書 ◎所得証明書 ◎納税証明書(市民税・軽自動車税・国民健康保険料(税))
※注意事項
戸籍の届出・住民異動・印鑑登録及び、税関係の上記以外の証明書発行業務は行っておりません。
−お問い合わせ−
市民サービスセンター
Tel 0895-22-0205

この辺りになると寡黙になってしまった。

しばし沈黙

媛銀の工事も急ピッチ。
銀行だけなんで景気が良いの??
なら、もっと融資をしやすくすれば良いのに。
地銀→サラ金→貧乏人 という図式を 地銀→→貧乏人
に変えることでどれだけの人の命が助かったことか。
まあ、媛銀ではないけどある地銀には散々お世話になったから文句は言えないけれど。

えーっと、ここは??そうか、愛媛銀行の前か。工事中だ。
この時期になると「えんま様」のポスターが出てくる。「妙典寺のお稲荷さん」、「龍光院のお稲荷さん」
この三つが新春の三大祭りポスターか。

この四つ角から今歩いて来た上を振り返る。
新橋商店街に入る。看板の形が袋町とは異なっている

商店街で一番賑やかな町は新橋通りかな?
不動産の基準路線価格の場所に出る宇和島の商業地はここらですな。


商店街の中で一番賑やかな所か?伊予銀行宇和島支店前
石碑は伊達宗紀(だて・むねただ)時代に造られた「融通会所之跡」の碑
★文政7年(1824)宗紀が襲封した当時、藩は財政難のなかで、萩森蔀(はぎのもり・しとみ)事件
その他の「国益」論争、農民の救済策など、多端な問題をかかえていた。宗紀は櫨蝋の積極的な専
売制の実施、質素倹約、魚類の五分一銀運上の改訂、借金の無利息二百年賦返還(一年に銀九
十三貫宛)などの改革を文政年間に行い、藩財政の再建に成功した。幕府の天保の改革が始まる
と、これに歩調を合わせる ように殖産興業策を打ち出した。藩士小池九蔵・若松総兵衛に、佐藤信
渕の経済学を学ばせてこれを応用し、融通会所を開設して商業の繁栄と統制をはかり 、……後略
(「宇和島の自然と文化」より)

ここを忘れていたので、振り返った。
上の二枚で新橋商店街は終わり、下の二枚から恵比寿町商店街となる。

境界は判らん。が店の看板の形が変わっている。

この「天寿堂」からジャンボ宝くじ三億円が出た!

この店もかなり昔からある。(大衆の店・天下のヒゲ店)子供の頃から意味が判らなかった。

模型愛好家のおじさんには懐かしい玩具店「玉六」(左)

うーん、上手く撮れていなかった。左右きちんと合わせたつもりだったが、ミスった。

増えてきたコインショップ
まあこんなもんですかなー。宇和島銀天街もすっかり寂れてしまった。
ここで、当サイトも「ねつ造疑惑」が浮上。この上の「コインショップ」(自販機コーナー)の写真だけは
商店街が休みの木曜日に撮られたため、その向こう隣の店もシャッターを下ろしているが、
閉業した訳ではない。意図的に閑散とした雰囲気をねつ造した疑惑が問題になった。
この企画は孫請けの「binbo−プロダクション」にまるなげしたらしい。
関係者も苦しい言い訳をしている。と言うのは冗談。だがこれだけ木曜日というのは本当。

別にけなすつもりは毛頭無いが、この看板が商店街で占める割合は年を追う毎に増加している。
実際に土地を買収してもらって助けられた店舗はかなりあると聞く。
そい言う意味合いでは有り難い存在である。ただ、寂しいことは隠せない。良い解決策は無いものか。
私の覚えている最大の賑わいは、そう。あの日だった。
昭和63年4月6日、この通りは大観衆で埋め尽くされた。
宇和島東高等学校野球部がセンバツ初出場初優勝を果たし、
紫紺の優勝旗を持って凱旋パレードが行われた時である。
選手たちが帰って来るのは夕方だというのに、商店街は午前中から異様な熱気にあふれていた。
夕方、タニモト書店の横に白い宇和島自動車のバスが着いた。
選手たちはあふれんばかりの笑みをたたえて商店街を行進した。
あの時の歓呼の声も、人の波も、幻であったかのような静けさである。
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